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Author:井垣太介 (Taisuke Igaki)
日本及び米国NY州弁護士
 @西村あさひ法律事務所

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会社は誰のものか?

さて、日本の企業において「Principal-Agent関係」と言うときのPrincipalとは誰だと考えるべきでしょうか?

この点、欧米においては、株主と企業経営者との関係=「Principal-Agent関係」として捉えられ(すなわち、株主がPrincipal)、Agency問題の発生を解決する方法としてガバナンス制度の在り方が議論されてきたと言えます。他方、日本では、今でもなお、「会社は誰のものか」という議論について決着が見られていません。

そもそもアメリカでは、「会社は株主のものである」と言うときの「株主」は「投資のために株を買った人たち」という位置付けであり、経営の素人であるから、所有と経営の分離は徹底していた方が良い、よって、株主には法令と定款で定められた権利のみ(主に取締役の任免権)を与えることで足りるという考え方に立った上で、だからこそ、膨らみがちなAgency Costを抑えるための方策が試行錯誤されてきたという経緯があります。他方、日本では、大陸法から輸入した株主総会万能主義については約60年前に廃止されたものの、未だに「困ったときは株主に決めてもらおう」という発想が残っているように思います。また、機関投資家が古くから「もの言う株主」として活動してきたアメリカと異なり、株式持合いとメインバンク制がインサイダー型ガバナンス体制を作ってきた日本では、株主総会は長期間形骸化していました。よって、「取締役に大幅に権限委譲した以上、Agency問題を解決しなければならない」というアメリカ型発想も出てきにくく、他方、株主に権限が残されているにも拘らず株主総会が形骸化していた結果、Agency問題自体に株主が気付かない、あるいは気付いたとしてもメインバンクの指導によって解決してきたという歴史があると思われます。そこで、今改めて「会社は誰のものか」という議論が再燃しているのではないでしょうか。

このような状況の中で、近年の日本では、「アメリカのようにAgency理論におけるAgency Costの最小化を追求してもきりがないから、そろそろ抜本的な考え方の転換が必要である。経営者は株主の代理人であるという発想から抜け出して、経営者が株主そのものになるという発想の転換を行い、経営者の報酬を株式で支払うようにすべき」といったドラスティックな意見が出てきたり(*1)、「取締役の内面的倫理性を外からチェックすること自体がそもそも難しいことであるから、一番重要なのは経営者自身がガバナンスに対する意識を高めることである」(=Agent自身の成長を期待する)といった経営者サイドからの意見も聞かれたりします。

しかし、前者の見解に対しては、経営者=株主となってしまうと「株価至上主義」に陥る可能性があり、それによって発生する問題も小さくはない(数字に表れやすい「投資利益を基準とした投資プロジェクト」を優先し、長期的な技術開発や従業員訓練、取引先との関係構築といった数字に表れにくい活動に対する投資が控えられることによる弊害など)(*2)、また、日本では未だ不十分な少数株主保護の問題が今まで以上にクローズアップされることになるといったコメントが可能であると思います。また、後者の見解に対しては、経営者全員がそのような意識を持つことは素晴らしいことではあるが、コーポレート・ガバナンス論自体は、あまり優れていない経営者が出てきたときにその専横をいかにして防ぐかという議論であるから、「上手く行っていない会社」を想定して議論すべきであるというコメントが可能ではないかと思います。確かに、Agency理論は経済学の理論であり、「(特に日本では)社会的存在として捉えられている会社」を分析する理論としては完全ではないと思いますが、これを時代錯誤の理論として(あるいは法と経済学的発想自体に反対であるとして)片付けるべきではなく、一つの判断枠組みとして利用することはなお有用であると考えています。

さて、Agency理論について現在議論する場合、株主のPrincipal性について否定することはなかなか困難であると感じます。1980 年代初めにおける日本企業(製造業)の負債比率は自己資本比率を大きく上回っていましたが(負債比率80%程度)、その後、負債比率は下がり続け(=自己資本比率は上昇し続け)、2005年には自己資本比率が50%を上回りました。これは、1980年代から2005年まではメインバンクを始めとする金融機関が会社に活動資金を提供している最大のPrincipalであったのに対し、ここ数年でその地位を株主が承継したことを意味すると考えます。もちろん、会社には従業員、取引先、社会といったステイクホルダーが存在しますので、これらステイクホルダーの利害を無視してよいということではありませんが、やはり会社の活動を支える資金提供者をPrincipalと捉えざるを得ないのではないでしょうか。

しかし、株主をPrincipalと捉える理論(株主資本主義、株主主権論にも近似)の欠点を補うのが近年注目を集めている「企業の社会的責任」(CSR)論です。株主と異なり持分を売却して会社を去るということが簡単にはできない従業員(とその家族)を始めとし、債権者、取引先や地域社会、果ては地球環境によって影響を受ける世界中の人々についてまで、企業はその利益を守る社会的責任を負っていると考えるべきですが、その社会的責任を、Agency理論におけるPrincipalの利益保護と同レベルに重要視するのが日本の目指すべき道ではないかと思います。日本はもともと金融収益ではなくモノ作りで経済を発展させてきた国ですから、Principalである株主のためにいかにして株価を上げるかを考えるだけでは方向性を誤ると感じます。近年は、CSRやコーポレート・ガバナンスですら、消費者に対するイメージ向上を狙い、顧客誘引力を上げるため、ひいては株価を上げるための一手段と捉えられる傾向もありますが、そうではなく、社会の持続的発展を目的とした将来への投資として真剣に考えなければならないと思います。この点では、「会社は誰のものか」という議論に決着が見られていない日本の方が、「会社は株主のものである」と比較的明確に位置づけられているアメリカよりも一歩先に進んでいるのかも知れません。


(*1) http://www.jacd.jp/keyword/041024_01key.html
(*2) 関連図書として: アラン・ケネディ「株主資本主義の誤算」(ダイヤモンド社)

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