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井垣太介 (Taisuke Igaki)

Author:井垣太介 (Taisuke Igaki)
日本及び米国NY州弁護士
 @西村あさひ法律事務所

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買収価格の算出方法(その3)~DCF法の基礎(3)~

それでは、いよいよ、求めた予想フリー・キャッシュフローとWACCを用いて、将来キャッシュフローの現在価値への引き直しを行ないます。

具体的には、例えば予想期間を5年と設定すると、1年目から5年目までの各年の予想フリー・キャッシュフローを(1+WACC)の年数乗で割って得られた毎年のキャッシュフロー現在価値を5年分合計したものに、いわゆるターミナル・バリュー(企業の残余価値)を加え、最後に対象会社の借入れ金額を控除します。借入れ金額を控除するのは、もともとフリー・キャッシュフローが借入れを除いた営業利益ベースの数字だからです。

ターミナル・バリューは、

予測最終事業年度の翌年度の予想フリー・キャッシュフロー/(WACC-g)

という計算式で算出します。ここで”g”とは、「永久成長率」を意味し、予測される商品総消費量の長期成長率にインフレ率を加えた数字(通常、0~5%程度)が用いられます。ターミナル・バリューを用いるのは、一定期間以降(上記設例であれば6年目以降)のキャッシュフローを予想するのが困難であるため、インフレ率を考慮しつつ、「予測最終事業年度の翌年度の予想フリー・キャッシュフロー」が未来永劫続くと仮定して算出するしか方法がないからです。

さて、DCF法で最も大きなインパクトを与えるのが、WACCやgといった割引率算定のために用いられる数字です。これらの数字が1%変わってくるだけで、DCFの算定結果は大きく変わってきます。特に、ターミナル・バリューはインパクトが大きく、どのような計算を行なってもその結果に関して説得的な説明をするのはなかなか困難です。

例えば、カネボウ事件の東京地裁決定ではgが0%とされていましたが(そのこと自体はそれほど珍しいことではありません)、gの値はターミナル・バリューに大きな影響を与えますので、当事者であれば当然この点を争うでしょう。また、WACCを求めるために使用する株式リスク・プレミアムについても、何年間の平均を取るのかという点を中心として当事者間で揉めやすい点です。カネボウ事件でも、株主側は裁判所が採用した8.5%というリスク・プレミアムに関しては高すぎる(リスク・プレミアムが高いと、株主資本コストが高くなり、WACCも高くなり、その結果、企業価値と株価は低くなります)という批判をしています。

このようにDCF法は、他により説得的な算定手法がないという理由から現在の主流となっていますが、割引率によって結果が大きく異なることから、実務上は、DCFで計算した後に、念のために純資産方式や類似事例比較方式を用いて、DCFで求めた数字の検証を行なうこともあります。いずれにしても、M&A実務に携わる場合、DCF法の基礎を理解しておくことは重要であると考え、今回のテーマとして取り上げた次第です。
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買収価格の算出方法(その2)~DCF法の基礎(2)~

2. WACC(Weighted Average Cost of Capital、加重平均資本コスト)の求め方

一般的に、企業買収の際には、投資した資金を一定期間で回収できるかどうかがチェックされます。そして、ここで使われる「投資した資金」というのは、通常、銀行から借り入れたお金や社債を発行することで得たお金、すなわち借入資本(debt capital)と、株主から払い込みを受けたお金、すなわち株主資本(equity capital)の二種類で構成されますが、これらはいずれも利息、配当金、将来の値上がり益といったコストを伴うお金です。よって、この借入資本コスト株主資本コスト(併せて「資本コスト」と呼びます)をカバーできるだけの将来キャッシュフローが得られなければ、「買い損」ということになってしまいます。対象企業の資産や類似会社の価値に着目するのではなく、専ら資本コストというモノサシだけで買収価格を決めようとする点がアメリカ(アングロサクソン)的発想ですが、今の日米のM&A実務においては、この資本コストでもって将来キャッシュフローを割り引いて現在価値を算出する手法が最もポピュラーになってきています。

(1) 借入資本コストの算出方法

借入資本コストは、一言で言えば、長期有利子負債(社債や長期借入金)の金利ということになりますが、金利は経費計上(損金処理)できますので、節税効果を考慮して、
金利×(1-実効税率)
が借入資本コストになります。よって、例えば、長期有利子負債の金利が10%、実効税率が40%であるとすると、借入資本コストは、10%×(1-0.4)=6%となります。

(2) 株主資本コストの算出方法

株主資本コストは、通常、Capital Asset Pricing Model(CAPM、資本資産評価モデル)と呼ばれる計算方法によって算出されます。CAPMは、リスク・フリー・レートに株式のリスク・プレミアムを加算して求めますが、これは、投資資産の期待利回りはその資産が持つリスクと表裏一体の関係にあるという基本的理解の下で、より大きなリスクを甘受するならより大きなリターンが得られなければならない、すなわち国債などのリスク・フリー商品に投資するのではなくリスクが高い株式に投資するのであるから、株式のリスク・プレミアムを上乗せする必要があるという考え方を表していると言えます。

すなわち、リスク・フリー・レートは通常は長期国債(アメリカなら米国財務省証券)の利回りを使用しますが、それに対象会社株式ごとのリスク・プレミアムを加味することで、「リスクの高い会社を買う場合は、株主資本コストが高くなる(それだけ投資家にたくさん還元しなければならない)、その結果、高いパーセンテージで割り引いた将来キャッシュフローの現在価値は低くなり、あまり高い代金では買えない」という結論になります。

ここで、「対象会社株式ごとのリスク・プレミアムを加味する」ためには、マーケット全体の株式のリスク・プレミアムを考慮するだけでは足りません。対象会社の株価はマーケットの平均株価の動きとは異なる傾向を示していることも多々あります。そこで、これまでに蓄積されている市場データを用い、一般的なポートフォリオ(東証のTOPIXやアメリカのS&P500など)に含まれている株式の平均収益率(例えば、50年間といった長期間の平均を使用)からリスク・フリー・レートを控除した数値(これがマーケット全体における株式リスク・プレミアムになります)に、β(ベータ)と呼ばれる「対象企業特有のリスク・プレミアム」を掛けた数値を最終的な株主資本コストとします。

例えば、
・ アメリカにおける現在の米国財務証券10年ものの金利: 4%
・ 過去50年におけるS&P500株式の平均年間収益率: 15%
・ 過去50年における米国債の平均年間収益率: 5%
・ 対象企業のβ値: 1.3
と仮定すると、CAPMに基づいたこの企業の株主資本コストは、
4.0%+(15%-5%)×1.3=17%
ということになります(*1)。

翻って、βとは何かという点ですが、βというのは、全体的な株式市場の変動率に対する個別銘柄の株価変動率の「不一致度」を意味します。例えば、特定の期間に市場全体の平均株価が10%下がっているのに、対象会社の株価が20%下がっていれば、それだけ対象会社の株価は不安定ということになり、リスクは高いと判断されます。この場合、全体では10%しか下落していないのに対象会社の株価だけ20%下がっているわけですから、β値は2となります。市場全体が上向きであればβ値が高い株式に投資をすればそれだけ儲かる可能性が高いということになりますが、市場全体が下向きであればβ値が1を下回る株式に投資をした方が安全ということになります。また、ポートフォリオ全体のβ値を1に設定しておけば、リスク分散が図れているという判断にもなります。上記の設例では、β値が1.3になっていますので、少しリスクの高い、不安定な会社を買うことを意味しています。なお、非上場の会社の株式についてはβ値がありませんので、類似会社のβ値を資本構成比によって調整して算出したβ値を使うことになります(*2)。

最後に、WACC(加重平均資本コスト)の求め方ですが、上で算出した借入資本コストと株主資本コストを、借入資本と株主資本の構成比に応じて加重平均する方法が採られます。例えば、
・ 借入資本コスト: 6%
・ 株主資本コスト: 17%
・ 対象会社の長期借入金時価: 1億ドル
・ 対象会社の株主資本時価: 4億ドル
としますと、
WACC=6%×1/(1+4)+17%×4/(1+4)=1.2%+13.6%=14.8%
となります。


(*1) カネボウ事件における東京地裁決定(DCF法を採用)においては、リスク・フリー・レートは1.875%、株式リスク・プレミアムは1955年から2005年までの平均値である8.5%とされました。
(*2) カネボウ事件における東京地裁決定は、カネボウの食品事業、HP事業、薬品事業のβ値をそれぞれ、0.677、0.598、0.521とし、その結果、資本コストについては、食品事業7.63%、HP事業6.96%、薬品事業6.30%という結論に至りました。

買収価格の算出方法(その1)~DCF法の基礎(1)~

M&A交渉の過程で当事者双方が最も関心を持つのが買収価格です。公開企業を買収する場合は、その時点での市場株価に発行済株式総数を掛けて算出した金額(market capitalization)を用いれば良いようにも見えますが、買収者は対象企業の支配権を獲得することになりますので、いわゆる支配プレミアム(control premium)を加算して初めて適正な買収価格になると考えられており、その評価も簡単ではありません。

そこで、企業価値や株価を算定する手法としては、これまでに、市場価格を参考にする方法、対象会社の資産を基準にする方法、利益から逆算する方法、他社や他の事例を参考にする方法など様々な計算方法が提案されてきましたが、現時点の(日米の)M&A実務界で最も頻繁に用いられている方法がDCF法(Discounted Cash Flow Methodology)です。そこで、今回はDCF法の基本的考え方について見てみたいと思います。

DCF法とは、「将来の予想キャッシュフローに基づき、企業の現在価値を算定する手法」と定義されます。具体的には、予想フリー・キャッシュフローを、対象会社のWACC(加重平均資本コスト)で割り引くことによって現在価値を求めます。そこで、ここでのポイントは、「予想フリー・キャッシュフロー」の出し方と、「WACC(ワック)」の求め方の二点になります。

1. 予想フリー・キャッシュフローの求め方

予想フリー・キャッシュフローは、会社が稼いだお金から会社の活動資金を差し引いた余剰資金を意味しますが、具体的には、

「営業利益(operating profit)(*1)、減価償却費(depreciation)、無形固定資産の償却費(amortization of intangible asset)」の合計額から、
「設備投資(capital expenditure)、税金(taxes)、運転資本の増加分(change in working capital)」の合計額を控除


して求めるのが通常です。ここで、償却費を加えるのは、償却費については経費計上されるものの実際のキャッシュの流出はないため、それを戻してやる必要があるからです。他方、設備投資額を控除するのは、これらは費用にはならないがキャッシュの流出を伴うためです。

また、運転資本(working capital)(*2)に関して調整を入れるのは、仕入れ・売上げと支払い・入金にはタイムラグがあるのが通常ですので、例えば、取引先からの入金が遅れているようなケースではキャッシュフローが減っている(売掛金総額が増えるので、流動資産・運転資本も増える)と考え、キャッシュの計算では差し引きしないといけないからです。そこで、「運転資本の増加額」を営業キャッシュフローから控除してやる必要が出てきます。例えば、2006年度に売掛金1000万円・買掛金500万円だったのが、2007年度には売掛金2000万円・買掛金1000万円になったとすれば、運転資本は500万円から1000万円に増加したことになり、キャッシュが500万円減ったことになります。よって、運転資本の増加分である500万円をフリー・キャッシュフローの計算においてマイナスすることになります。

続いてWACCの説明ですが、少し長くなりそうですので、次回のコラムに回したいと思います。


(*1) ここでの「営業利益」は、売上高(sales)から売上原価(cost of goods sold)と一般販売管理費(general administrative and selling expenses)を控除した営業利益に、(1-実効税率)を掛け合わせて求めた「税引き後営業利益」を意味します。
(*2) 日々の事業運営の結果生じる「売掛金(account receivable)・在庫の残高と買掛債務(account payable)の残高の差」を「(正味)運転資本」と言います。

M&Aの労務(その6)~M&Aの際の希望退職募集について~

M&A、特に会社更生や民事再生の手続の中で行なわれるM&Aの際には、経費を削減することによって事業そのものの建て直しを図らなければならないことから、従業員を全員は連れて行けない場合があります。しかし、このような場合であっても、合併、会社分割、事業譲渡等を直接の理由とする解雇は認められません(*1)。すなわち、①人員削減の必要性、②解雇回避努力を行ったか、③解雇される人の選定の妥当性、④手続の妥当性という、いわゆる整理解雇の4要件を充たさない限り、解雇はできないと考えなければなりません。この整理解雇の4要件に関しては文字通り山ほど判例が存在しますので、詳細はまた別の機会に紹介したいと思いますが、ここでは、②の解雇回避努力の一環として行なわれる「希望退職募集」について触れておきたいと思います。

(日本においては)解雇は可能な限り回避されなければなりません。人件費を減らす必要があるのであれば、まず新規採用を止めるという方法がありますし、可能であれば残業代の支払額を減らすために残業を規制することも考えなければなりません。また、適法な範囲でパートタイマーの方にまず辞めていただくことも一つの方法です。更に、M&Aに伴い一部の事業そのものがなくなるのであれば、その事業に従事していた従業員については配置転換や出向という形で引き続き雇用できないか検討することが必要です。しかし、そこまでやってもなお人員の吸収ができない場合は、希望退職者を募集することを考えなければなりません(裁判になると、希望退職募集を行なったかどうかが、解雇回避努力を尽くしたかどうかの判断の際に考慮されることがありますので、その意味でも、希望退職募集を行なう意味があります)。

希望退職募集というのは、文字通り、自主的に希望して退職してくれる人を募集することですが、通常の退職勧奨と異なるのは、退職手当の増額といった特典を付して募集を掛ける点です(再就職の斡旋や、再就職に必要な費用を会社が負担するパターンもあります)。これによって、従業員が被る不利益を一定範囲で補填することができますので、その結果、より多くの従業員が自主退職に応じてくれることが期待できます。しかし、それでも予定していた退職者数に到達しないこともあるでしょう。また、逆に、割増退職金という特典を付した結果、退職して欲しくないキーパーソンが退職を願い出てくることもありえます。

まず、希望退職募集を行なっても予定していた退職者数に達しなかった場合には、会社はどのように対応すべきでしょうか?

一つの方法は、再度、キャンペーン(希望退職募集)を行なうことです。シンプルですが、最も公平で問題が発生しにくい方法と言えます。
もう一つは、個別に従業員に声掛け(退職勧奨)を行なう方法です。時間がないときやあと数人で予定人数に達する場合などには、個別の声掛けの方が便利ということになろうかと思いますが、この場合は、退職勧奨行為が行き過ぎて不法行為とならないように注意が必要です。例えば、市の教育委員会が特定の教諭を4ヶ月間に13回も呼び出して、ときに2時間にも及ぶ退職勧奨を行なったケースで、裁判所は、教育委員会の行為は、多数回かつ長期に亘る執拗なものであり、退職勧奨として許される限界を超えるから違法であると判示しました(*2)。このケースでも示されたように、退職勧奨はあくまでも自主的・任意の退職を呼び掛けるものでなければなりません。半分強制のような勧奨やあまりに執拗な呼び出し・説得行為は、社会的相当性に欠けるものとして不法行為を構成しますので、注意が必要です。

次に、優遇措置を提案した結果、退職して欲しくないキーパーソンが退職を願い出てきた場合には、会社はどのように対応すべきでしょうか?

前提として、特定の従業員が会社の希望退職募集に応募したことで、当然に退職の合意が成立するわけではないことを確認しておきたいと思います。民法上、契約(ここでは優遇条件付退職合意)の成立には、「申込み」と「受諾」という二つの行為が必要ですが、判例は、希望退職募集のケースに関し、会社からの募集は「申込み」には当たらないとしています(*3)。すなわち、希望退職募集がなされていることを知った従業員が「退職したい」と申し出てきた時点で、それが「申込み」になります。よって、会社がその「申込み」に対して「受諾」しなければ優遇条件付退職合意は成立しないことになります。しかし、もともと辞めたいと思っている人を引き止めるのは非常に難しいものです。例えば、その人が、「それならば割増退職金は要らない。通常の退職金で構わないから辞める」と言ってきたときにはなすすべがありません。また、現実問題として、従業員と会社との間で、何が民法上の「申込み」か「受諾」かという法律上の議論を戦わせることは正しい姿とは言えないと思います。無用のトラブルを避けるためにも、希望退職募集を行なう際に、「なお、この優遇措置は、会社が認めた人に限って適用されます。」と明記しておくことが必要でしょう。その上で、キーパーソンについては、事前に会社の希望を伝え、十分な話し合いを経た上で残留の方向で考えてもらうプロセスが大切になってくると考えます。


(*1) <分割会社及び承継会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針>も、「普通解雇や整理解雇について判例法理が確立しており、会社は、これに反する会社の分割のみを理由とする解雇を行なってはならない」としています。
(*2) 最判昭和55年7月10日(下関商業高校事件、労働判例345号20頁)
(*3) 東京高判平成16年3月17日(日本オラクル事件、労働判例873号90頁)

M&Aの労務(その5)~事業譲渡における雇用契約の取扱い(2)~

2. 転籍しない人に関する問題

(1) 旧会社を解散させる場合の問題点
事業譲渡後に、旧会社を解散・清算するというのはよく見られるパターンです。特に、事業再生のプロセスにおいて事業譲渡が行なわれた場合には、残った会社は債権者への弁済を行なうことが唯一の仕事であり、それは清算手続の中で行なえますので、会社は解散し、残された従業員も解雇されます。この場合、「解散に伴う解雇であるから当然に許される」と考えても良いのでしょうか?

答えはNOです。この点については判例がいくつもあり、譲渡会社と譲受会社が実質的に同一とみなされるケースでは、特定の従業員を排除するための「偽装廃業」「仮装解散」として、解雇無効の判断が下されています(*1)。この場合、いわゆる整理解雇の4要件(*2)を充たさない限り、解雇はできないことになります。

なお、横浜地判平成15年12月6日(勝英自動車事件、労働判例871号108頁)は、譲渡会社と譲受会社が実質的に同一とみなされないケースであったにも拘らず、そこで行なわれた営業譲渡が特定の従業員を個別に排除するためのものであったと評価して、譲受会社が従業員の選別を行なえるとする営業譲渡契約の条項を公序良俗違反と認定しました。この勝英自動車事件の判決は、「譲渡会社と譲受会社が実質的に同一であること」を要件とする従前の判例基準を飛び越えて従業員の利益保護を一層厚く図ったものと言えますが、事業譲渡が本来「特定承継」であって、引き継ぐ資産、権利義務、契約を自由に取捨選択できるものであることからすれば、「行き過ぎ」の判断だったのではないかという疑問を抱きます。しかし、譲渡会社と譲受会社が完全な別会社であれば安心と言い切れなくなったのも事実であり、転籍を希望する人がいるのにそれを認めない場合には、後に無効とされる可能性がないかについて検証が必要だと考えます。

(2) 転籍して欲しい人が残ってしまった場合の扱い
転籍については、就業場所の変更につながったり、雇用条件の変更をもたらすため、新会社に転籍して欲しい人が旧会社に残りたいという選択をする場合もあります。この場合に、譲渡会社にはもはやその人がそれまで従事していた事業自体が存在しませんので、会社としては、当該従業員jを余剰人員として把握し、解雇を考えるかも知れません。

しかし、事業譲渡に伴う転籍について承諾しなかったことを理由として解雇を行なうことは認められません。なぜなら、そもそも転籍を業務命令として命じることはできず、転籍に応じるかどうかは従業員の自由だからです。したがって、やはりここでも整理解雇の4要件を充たさない限り、解雇はできないことになります。

以上、事業譲渡が行なわれた場合の問題点について、転籍した従業員と転籍しなかった従業員に分けて整理して見て来ましたが、実務上最も大切なのは、転籍の際の退職金支払いと雇用条件の変更がやむを得ないものであることを従業員の皆さんに可能な限り理解していただくことではないかと考えます。私が従業員であれば、退職金が目減りすること(事業譲渡の時点でそれまでの勤続年数に応じた退職金が一旦支払われ、新会社退職時に新会社での勤続年数に応じた退職金を受け取るということになると、退職金総額は減る可能性の方が高いと思われます)や、勤務場所が突然変わることについては抵抗を覚えると思いますので、この点に関して、事前に会社からしっかりした話が欲しいと思うに違いありません。また、事業譲渡に伴って新会社に移ってもらうことができない従業員についても、十分に話し合うことが大切です。誠意をもって十分な協議を行なったかどうかが裁判所の考慮要素の一つになるという法律の話以前に、やはり話してみなければ開けない道もあると思いますし、会社を支えてきてくれた従業員と膝を交えて腹を割って話をするのは当然のことと感じるからです。


(*1) 大阪地決平成6年8月5日(労働判例668号48頁)、奈良地決平成11年1月11日(労働判例753号15頁)など。
(*2) ①人員削減の必要性、②解雇回避努力を行ったか、③解雇される人の選定の妥当性、④手続の妥当性

M&Aの労務(その4)~事業譲渡における雇用契約の取扱い(1)~

続いて、事業譲渡において雇用契約がどのように扱われるかについて見ていきたいと思います。

事業譲渡は、これまでに述べてきた合併や会社分割とは異なり、個々の資産、権利義務関係、契約などを個別に移転する行為です(前者の「包括承継」に対して「特定承継」と呼ばれます)。よって、雇用契約についても、この特定承継の原則に従って、個別に移転させる行為が必要になります。具体的には、

① 事業の譲渡会社・譲受会社間での合意
② 転籍対象になる従業員一人一人の同意


があって初めて、雇用契約が新会社に移転します。ここで「転籍」と言う場合、「旧会社を退職し、新会社で新たに雇用される」方式と、「雇用契約上の地位を新会社が引き継ぐ」方式がありますが、M&Aの手法として事業譲渡を選択するメリットの一つに、「旧会社が抱える債務(従業員に対する未払残業代などの潜在的債務も含む)を承継しないで済む」という点が挙げられますので、実務上は、通常、前者の「旧会社を退職し、新会社で新たに雇用される」方式が選択されます。

ところで、上記のように、事業譲渡に伴ってどの従業員を転籍させるかについては、「事業の譲渡会社・譲受会社間での合意」によって決められる結果、例えば、譲受会社が「この人は要らない」と言えば、その人は転籍できません(この点が会社分割とは異なる点です)。以下では、この原則を踏まえた上で、①転籍する人に関する問題、②転籍しない人に関する問題に分けて、実務上の論点を整理していきたいと思います。

1. 転籍する人に関する問題

(1) 転籍承諾書の取り付け
実務上は、「この人には是非来て欲しい」と譲受会社が思っても、本人の意向で転籍してもらえないケースがあります。このようなケースを想定し、契約書においては、転籍承諾書の取り付けに関する一定の努力義務を譲渡会社側に課するのが通常です。また、キーパーソンが転籍してくれない場合に備えて、譲渡価格を減額できるスキームを組み込むことも考えられます。更に、奥の手として、「出向」を利用する方法もあります。出向については、採用時の雇用契約書において「将来、出向がありえます」と書いて従業員の包括的な同意をもらっておけば、実際に出向する段階では従業員の個別の同意は不要と解されています。よって、新会社の業務が軌道に乗るまでの間、キーパーソンとなる従業員には出向という形で新会社で働いてもらうことで、事業移転をスムーズに行なえる可能性があります(ただ、出向権の濫用とならないよう、その従業員には出向手当てなどを支給して、不利益を与えないよう配慮する必要があります)。

(2) 引き継ぐものと引き継がないもの
まずは労働条件の引継ぎが問題となりますが、譲受会社が事業譲渡という方式を選択した時点で、通常、譲受会社は、転籍者に新会社における新条件を適用することを希望(想定)しています。よって、契約交渉もそれを前提に進められるのが通常ですが、雇用条件が急激に変化(悪化)すると転籍して欲しい人にも転籍してもらえないことになりますので、契約書において、特定の期間(例えば、転籍後1年間)が経過するまでは、旧会社における雇用条件を下回らない(特に賃金関係)ことを約束しておく手法もあります。とりわけ、事業譲渡後のリストラなどが想定される事業再生絡みのM&Aにおいては、管財人(会社更生の場合)や申立代理人(民事再生の場合)からスポンサーに対して、「新会社においては、少なくとも1年間は、直近1年間の平均給与を支給すること」といった条件を課すケースも多く見られます。

なお、この点に関し最も問題になるのはボリュームが大きくなる退職金の取扱いですが、①譲渡会社を退職する際に精算し、譲受会社では譲受会社の退職金支給規程に従うとするのか、②譲渡会社において発生している退職金債務を、当該従業員が譲受会社を退職する際に一括して支払うこととするのか(この場合、通常、既に発生している退職金債務相当額について事業譲渡代金を減額する)について明確に定めておく必要があります。

更に、退職金計算や年次有給休暇の計算の基礎となる勤続年数の通算、未消化の有給休暇の承継についても、事前に取り決めておかなければなりません。実務上は、「退職金は旧会社退職時に支払う」「勤続年数は通算しない」「未消化の有給休暇は一定の範囲内で承継を認める」というパターンが多いのではないかと感じます。

転籍しない人に関する問題については、次回のコラムで述べたいと思います。

M&Aの労務(その3)~会社分割における雇用契約の取扱い~

会社分割は、個別の権利・義務移転行為がなくとも事業や権利義務関係が分割会社から承継会社に移転するという点で合併と同じ「包括承継」ですが、合併と異なり、一部の事業や権利義務関係のみの移転が可能な結果(*1)、会社に居る従業員のうち、承継対象事業に従事する人たちだけ新会社に移り、他の人たちはそのまま残るという現象が発生する点が合併とは異なります。この場合、「誰が新会社に移ることになるか」という問題が発生します。

そこで、会社分割に関しては、労働者保護の観点から、<「労働契約承継法」(正式名称:会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律)><同法施行規則>および<指針>(*2)が定められています。

原則から確認してみたいと思いますが、会社分割は前述のとおり「包括承継」行為ですので、会社分割によって切り出す事業に従事する従業員として分割計画書または分割契約書に記載された従業員は、特別なプロセスを経ることなく、当然に承継会社に移転することになります。会社分割は、事業譲渡や資産譲渡であれば必要になる「契約の相手方(従業員も含む)」の個別の同意を得ることなく、契約関係を当然に承継会社に承継させる点にメリットがありますから、ここに会社側から見た場合の使いやすさがあるわけです。しかし、従業員からしてみれば、新会社に移りたくないのに強制的に移されたり、逆に、当然移れると思っていたのに自分だけが取り残されて移れないケースも出てきます。穿った見方をすれば、特定の従業員を排除するために予め承継対象事業を行なう部署に配置換えを行い、事業とセットで切り出してしまう、あるいは逆に、新体制下では居て欲しくない従業員を意図的に排除するために分割計画書・契約書にその従業員の名前を載せないというケースもありえます。

そこで、平成12年商法改正と同時に制定された労働契約承継法は、分割計画書・契約書に記載された従業員は当然承継されるという原則論を基本としつつも、従業員を上記のような不利益的取扱いから守るために、会社分割に先立ち労働者の「理解と協力」を得ることを求めた上で(承継法7条)、以下のプロセスを踏むことを要求しています。

(1) 会社の通知義務(承継法2条1項、2項)
従業員の雇用契約が承継されるか否か、また、承継される場合その従業員が今度従事することになる業務の内容・就業場所などは従業員にとって非常に大事なポイントになりますので、会社は、分割計画書等を承認する株主総会の2週間前までに
① 「承継される営業に主として従事する労働者」全員
② 「承継される営業を従たる職務とする労働者」であるが承継対象となっている人
③ 労働組合

に対して、書面により法律で定められた事項を通知しなければなりません。

(2) 従業員の異議申出権(承継法2条1項1号・2号、3条ないし5条)
「承継される営業に主として従事する労働者」であるにも拘らず、分割計画書・契約書に記載されなかった人は、異議申出権を行使することによって承継会社に移ることができます。また、逆に、「承継される営業を従たる職務とする労働者」であるにも拘らず、分割計画書・契約書に記載されてしまった人についても、やはり異議申出権を行使することによって、分割会社に残ることができます(*3)。
異議申出は、上記(1)の通知がなされた日から最低13日間は受け付けなければなりません。よって、スケジュールとしては、例えば6月30日に株主総会を開くのであれば、6月15日に従業員に通知を行い、6月29日に異議の受付けを締め切るといった流れが一般的であると考えます。

(3) 従業員との協議(承継法7条、6条2項、同法施行規則4条)
上記の通知と異議申出とは別に、会社は従業員の「理解と協力」を得るために、労働組合(労働者の過半数で組織する労働組合がない場合には労働者の過半数を代表する者)と協議しなければならないとされています。
また、それとは別に、更に会社は株主総会の2週間前までに「従業員との個別協議」も行なわなければなりません(平成12年商法等改正法附則5条)。これは、労働計画書等の内容を事後的・一方的に従業員に告知するだけでは、自分がなぜ承継対象なのか(承継対象でないのか)、今後どのような業務を行うことになるのかといった点について従業員がきちんと理解することができないからです。

なお、会社分割の際に労働条件の変更が許されるかという問題がありますが、これについて前記「指針」は、「労働条件はそのまま維持される」べきとしています。また、有給休暇の日数や退職金の算定基礎となる勤続年数についても、旧新会社における「通算」が要求されています。これは、会社分割が「包括承継」であるという考え方に忠実に基づいており、従業員の立場になるべく変化が発生しないようにとの配慮から提唱されているものと言えます。


(*1) 旧商法時代は、少なくとも「事業の一部」の移転が必要でしたが、新会社法になって、「事業に関して有する権利義務の全部または一部」の移転も可能となりました(会社法2条29号、30号)。
(*2) 正式名称: 分割会社及び承継会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針
(*3) もともと「承継される営業を従たる職務とする労働者」であったがために分割計画書・契約書に記載されてなかった人については、承継会社に移れないことに関し異議申出権を行使することはできません。

M&Aの労務(その2)~合併に伴う雇用条件の統一(2)~

さて、労働契約は会社と従業員間の個別の契約、就業規則は会社が一方的に定めるルールということで、両者の効力関係がどうなるのか?・・・というのが前回の問題提起でした。

労働契約と就業規則との関係、労働契約と労働基準法との関係、就業規則と労働協約との関係については、従前は、労働基準法と労働組合法が定めていました。そこでの基本的考え方は、①労働基準法、②労働協約、③就業規則、④労働契約の順に効力が強いというものであり、この点は今でも変わっていませんが、平成20年3月1日から新たに労働契約法が施行されたことによって、これらの関係が条文で明確に定められました。

このうち労働契約と就業規則との関係については、労働契約法の7条、9条、10条が定めていますので、条文を見ておきたいと思います。

 (労働契約の内容と就業規則との関係)
第7条 労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第12条に該当する場合を除き、この限りでない。

 (就業規則による労働契約の内容の変更)
第9条
 使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。

第10条 使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第12条に該当する合を除き、この限りでない。


すなわち、第9条で、「労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」としつつも、第10条で、「労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき」は、就業規則の変更という方法によって個別の労働契約の内容を変えることができるとされています(*1)。これの例外として、「労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分」については、個別の契約更改によらざるを得ませんが、通常は、就業規則の「合理的な」変更で対応可能であると理解できます。

よって、合併に伴い、両当事会社の従業員の労働条件を統一する場合には、原則として、就業規則の変更という方法を選択すれば足りることになります。この場合、例えば、A社の就業規則の方が全ての点においてB社の就業規則よりも従業員にとって有利なケースであれば、トラブルを回避するために全てをA社の就業規則に合わせる方法もあります。しかし、通常は、有利不利の判断が困難な条項が入っていたり、A社の就業規則のこの点は従業員にとって有利だが、別の点はB社の就業規則の方が有利といったケースであろうと思います。そうすると、必然的に、「就業規則の不利益変更」のおそれが出てきます。

したがって、裁判になれば考慮されるであろう労働契約法10条所定の事情(労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情)をしっかり吟味し、合併の数ヶ月前から労働組合や労働者代表との協議を開始し、従業員にとってより有利な条件があればそちらを可能な限り適用するなどの方法で内容を詰めておく必要があります。

なお、会社の合併そのものではありませんが、農協の合同に伴い退職給与規定の統一の可否が問題となった大曲市農協事件(*2)で、裁判所は、「労働条件の統一的画一的処理の要請から、旧組織から引き継いだ従業員相互間の格差を是正し、単一の就業規則を作成、適用しなければならない必要性が高い」として、就業規則の不利益変更を認めました。ただ、ここでは、雇用条件の改善点などについても考慮されていますので、「合併するのだから、就業規則の統一は当然認められる」とは考えない方が良いでしょう。特に、給料や退職金など、労働者にとって非常に重要な権利・利益に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の変更については、より高度の必要性が要求されます。従業員との対話というプロセスと、不利益変更ばかりではないという結果、不利益変更部分については裁判所を説得できるだけの必要性を論証できることが大事だと考えます。


(*1) もともと、就業規則の不利益変更については、裁判所が、「労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」と判示していました(秋北バス事件)。そして、ここにおける「合理性」は、不利益の内容・程度や、変更の必要性、代償措置、交渉経緯などを考慮して判断するとされていましたので、このような裁判上の判断枠組みが明文化されたのが労働契約法9条だと言えます。
(*2) 最判昭和63年2月16日(民集42巻2号60頁)

M&Aの労務(その1)~合併に伴う雇用条件の統一(1)~

M&Aが失敗するか成功するかはクロージング後の努力にかかっていると前回のコラムで書きましたが、その努力を行なうのは会社で働く従業員や役員ですので、これらの「人」に注目することなくM&Aを成功に導くのは不可能であると言っても過言ではないと思います。また、従業員の退職金や年金といった労働債務の問題(制度の新設や移転も含む)は、M&A後の再出発において思いのほか大きな負担・面倒な手続になる場合があります。更には、M&Aに伴いリストラや労働条件の変更を買主が希望しているケースも少なくありません。しかし、M&Aでは、スケジュールがタイトであることも影響して、相手方との条件交渉やスキームの内容に関心が集中し、この「人」の問題の検討や従業員の心理的側面への配慮が疎かになることがあります。そこで、今回から数回のシリーズで、M&Aの労務について書いていきたいと思います。

今回はまず、「合併に伴う雇用条件の統一」について扱います。
合併は法律上「包括承継」と呼ばれ、消滅会社の全ての権利義務関係が存続会社に移転しますので、消滅会社と消滅会社の従業員・労働組合間に存在した雇用契約、就業規則、労働協約などは全て存続会社・新設会社に引き継がれます。その結果として何が起こるか?・・・特に何もしなければ、一つの会社の中に、複数の契約形態やルールが存在することになります。そうすると、例えば、A社出身の課長はA社の就業規則に従い朝8時に出勤してくるのに、B社出身の若い主任はB社の就業規則に従い9時出勤で構わないことになり、課長は毎朝苦々しい顔で重役出勤してくる若い主任を眺めて暮らすという状況が発生するかも知れません。これが給料や退職金等の待遇の違いであれば、例えば、ほとんど同じ時期に入社した二人なのに、出身会社の違いによって退職時に受け取る退職金額が異なってくるなどの事態が発生し、もっと深刻な不公平感につながることもあるでしょう。よって、どちらの会社の出身者かによって労働者としての立場(会社から見れば労務管理の方法)に違いが生じることがないよう、労働条件の統一作業が必要になってきます。

労働条件の統一作業とは、少なくとも一方の会社の従業員にとっては、雇用条件の変更を意味します。そして、雇用条件の変更は、各従業員が会社と個別に締結している「雇用契約の変更」、あるいは会社が定めている「就業規則の変更」という形を採って行なわれることになります(両当事会社に労働組合が存在する場合には、労働組合の合同(合体)が発生すれば、それに合わせて労働協約の統一化作業も必要になってきます)。

この場合、就業規則を変更すれば足りるのでしょうか?それとも個別の雇用契約まで逐一協議の上で締結しなおさなければならないのでしょうか?これは、「雇用契約と就業規則の関係」に関する問題と言えますので、まずはその点について見ておきたいと思います。

そもそも雇用契約とは、会社と各従業員が双方合意の上で締結する個別の契約で、申込みと承諾があって初めて成立する点で、売買契約や賃貸借契約などの他の契約と同じです。これに対して、就業規則とは、使用者側が(従業員と相談の上で一方的に)定める内部規律で、始業・就業の時刻や賃金など、労働基準法所定の事項について定められます。雇用契約の条件は、通常、この就業規則を基に定められることになります。なお、<労働基準法>89条は、「常時10人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。」としていますので、小さな会社であれば就業規則がない場合もありますが、ここでは就業規則が存在することを前提に話を進めます。

なお、簡単に就業規則関連の手続について触れておきますと、就業規則の作成・変更を行ったときは労働者の過半数代表者(過半数を代表する労働組合がある場合はその労働組合、ない場合は過半数代表者)の意見を聞く必要があり、その上で、所轄の労働基準監督署に、労働者代表の意見書を添付して届け出ることになります。ただ、就業規則の作成・変更に、労働者の「同意」までは要求されていません。たとえ労働者の代表が反対意見を述べても、反対意見を記載した意見書を添付することで足りますので、この意味で、就業規則は会社が一方的に定める決まりと言えます(ただし、後述する、就業規則の不利益変更の問題はあります)。最後に、作成・変更した就業規則は、各従業員がその内容をきちんと認識できるよう、見やすい場所に常時掲示する、印刷して配布する、電磁的方法(イントラネットなど)を使って閲覧できるようにするなどの方法によって、社内に周知させる必要があります。

このように、就業規則は、労働者との協議や社内周知の手続といったプロセスは要求されるものの、不利益変更として許されない場合を除いて会社の意図どおりの規則を作ることが可能で、かつ、個別に契約更改交渉を行なわなくとも一度に労働条件を変更することができますので、会社から見た場合には便利な方法であると言えます。その結果、就業規則の変更という方法によって個別の雇用契約に定められた労働条件まで変更できるかが問題となってくるわけですが、続きは、次回のコラムで書きたいと思います。

今週のメッセージ(2008年5月19日)~少年事件とM&Aの共通点(その2)~

嫌がる校長先生を説得して「再度、学校で受け入れ、継続的に面倒を見ていく」旨の約束も取り付けました。これまで子どもと仲が悪かったお父さんも、今回の事件をきっかけに考え方が変わり、毎日のように自主的に鑑別所に面談に行ってくれました。「悪友との付き合い」を断ち切るために、子どもの携帯電話はお母さんに持ってもらい、掛かって来る電話には逐一丁寧に対応し、今どれほど大事な時期を子どもが迎えているかを、その悪友一人一人に丁寧に説明してもらいました。子どもは鑑別所の中で、今の心境を感想文に書いてくれています。これから守ることを箇条書きにした書面も裁判所に提出済みです。被害者との間には示談が成立し、被害感情も収まっています。審判には両親ともに出席。万全の状態で臨んだ審判。

しかし、まだ足りないものがあります。それは・・・審判の後に子どもに「大きな期待」を掛け続ける大人の存在です。もちろん、両親や学校の先生は子どもに期待をします。しかし、子どもはときにその期待に素直に応えたくなかったりします。また、保護観察処分になれば、保護監察官や保護司が子どもを見守ります。ただ、保護監察官や保護司さんには審判後に初めて会いますので、信頼関係を築くまでに少し時間が掛かります。

残念なことではありますが、上記のようにやるべきことを全てやって審判に臨み、審判後も引き続き両親や学校が頑張っても再犯に至る子どもが多いのが現実です。子どもは、最初は頑張りますが、半年、1年と経つと、徐々に「どうせ自分なんて」という思いを再び抱き始めることが多いのです。大人である私たちですら、仕事がうまく行ったときはいい気分になりますが、次に失敗するとすぐに暗い気分になります。精神的により不安定な子どもの場合、環境の微妙な変化や大人とのちょっとしたやり取りによって、自信を失って再度非行に走るのはむしろ自然な現象と言えます。ですから、どんなことをしてでも、子どもが再度「いい加減な気持ち」「自暴自棄」になって同じことを繰り返してしまうような「環境」を作らないようにしなければなりません。そのためには、両親や家族以外の誰か大人が子どもに期待を掛けて、「僕が、私が見ているから、頑張ってね」と声を掛け続ける必要があるのです。審判が終われば、これまで毎日のように話をしていた鑑別所のスタッフも、家裁の調査官も去っていきますが、彼らに、子どもの面倒を引き続きみるようにお願いすることは物理的に無理です。よって、その役目を引き受けるのは付添人弁護士しか居ません。

審判が終われば付添人弁護士の仕事も通常そこで終わりますが、私は、その後、保護観察期間が終わるまで、あるいは「1年間」「18歳になるまで」といった区切りの良い期間を定めて、最初は毎週、途中から月に1度、自分の法律事務所に子どもを呼び出すことにしています。両親と一緒に来てもらってもいいですし、活発な子なら独りで来てもらっても構いません。こちらからの宿題は、毎日つけてもらう「一行日記」です。日記に書くことは、①誰とご飯を食べたか、②誰と会ったかの2点で、あとは好きなことを書いてもらって構いません。子どもが家族とご飯を一緒に食べなくなれば再び危機が迫っていると考えます。子どもが「今日会った人」の欄に、非行事件の当時に遊んでいた友達の名前を書けば要注意です(もちろん嘘をつかれている可能性もありますが)。面談ごとにその日記を見ながら、毎日どのように暮らしているかを聞きます。もちろん取調べではありませんので、雰囲気は明るく、8割方は面白い話をしながら、さりげなく子どもの状態をチェックし、自分がどれほど彼・彼女を信頼しているか、期待しているかを肌で感じてもらいます。実際に期待しているわけですから、毎週、毎月会っていれば子どももしっかり感じ取ってくれます。また、興味があれば、子どもを法律事務所の中まで案内します。きれいなお姉さんがたくさん居てびっくりするかも知れませんが、普段は接しない大人の世界を肌で感じるのも、つまらない原付窃盗などに走る気分を喪失させる良い薬です。以前、再犯であったにも拘らず例外的に保護観察にしてもらった少年は、「六法全書」が欲しいと言って来ましたので、プレゼントしました。読んでいるかどうかは分かりませんが、原付の鍵の壊し方に興味を持つよりはよほどいい傾向だと思います。そういえば、その子どもの審判では、保護観察にする条件の一つとして、「保護観察期間終了まで、付添人弁護士の事務所に定期的に通うこと」という項目が設けられていました。裁判所がそこまで付添人弁護士を信頼してくれるのは有難いことです。そして、子どもは社会の宝ですので、こうやって裁判官や弁護士が役割分担をしながら子どもを育てていくのはむしろ当然のことなのかも知れません。

長くなりましたが、少年事件とM&Aの共通点は、アフターケアが重要だということです。少年事件の場合は、審判で保護観察にしてもらうことが一つのゴールですが、「本当にしんどい勝負」は審判後と言えます。その意味で、審判は子どもにとっても子どもの家族にとっても、長い戦いのスタートに過ぎないのです。M&Aでは、つい、合併すること、事業を譲り受けることなどをゴールとしてクロージングを目指しがちですが、本当の勝負はクロージング後に待っています。実は多くの案件が「失敗」と評価されているM&Aの世界で(*1)、本当に幸せな結婚を実現するには、無理な相手に手を出さないということも重要ですが、結婚後の「融和」「融合」もとても大切です。Post Merger Integration(合併後の融合)という言葉が使われるようになってしばらく経ちますが、M&Aの本当の難しさもクロージング後に存在すると感じます。この点は、また機会を改めて考えてみたいと思います。


(*1) M&Aの失敗に関する参考文献: ロバート・E・ブルーナー「M&Aは儲かるのか。なぜ企業買収に失敗するのか」(一灯舎)

今週のメッセージ(2008年5月18日)~少年事件とM&Aの共通点(その1)~

私のライフワークは訴訟と少年事件です。ここで「ライフワーク」とは、採算や利益に過度に囚われることなく、純粋に「やりがい」を動機として一生続けて行きたい仕事のことを指しています。訴訟は、当事者の代弁者となって相手方と粘り強く交渉し、中立的立場にある裁判官にこちらの主張を汲み取ってもらうべくあの手この手で説得作業を行なうという弁護士業の原点ですし、証人尋問・当事者尋問の難しさ、奥深さは、一生を掛けて追求するに値するテーマだと思っています。この訴訟の面白さと難しさについてはまた書きたいと思いますが、今日のトピックは、もう一つのライフワークである少年事件です。

少年事件は、通常は一本の電話からスタートします。電話の相手は大抵は弁護士会で、「○○警察署に、16歳の少年がバイク窃盗で捕まっているのですが、両親が弁護士と相談したいと言っていますので、面談に行ってあげて下さい。」・・・弁護士会は私が少年事件を頻繁にやっていることを知っていますので、当番弁護士(*1)でなくとも、月に1回はこのような電話が掛かって来ます。こちらはそのときややこしいM&Aの契約書とにらめっこをしていたり、Due Diligenceの資料の山に囲まれていたりしますが、何とか時間を作って必ずその日のうちに子ども本人と両親に会いに行きます。

子どもは知らない弁護士が突然やって来て質問攻めをすればそれだけで嫌気が差すでしょうから、まずは法律事務所で両親とじっくり話をし、子どもの生い立ちや性格、これまでの非行歴や学校での成績、趣味や部活動、兄弟との関係、友人関係などあらゆる点について聴き取りをしてから出掛けます。ビジネス→少年事件への頭の切り替えは警察に向かう電車の中で行ないます。警察で初めて出会った子どもは、通常あまり喋りませんし、嘘をついたり、隠し事をしたりするのも普通に見られることですので、細かいことは気にせず、子どもの気持ちになって静かにゆっくり、ときには笑いながら、時間が許す限り話をします。事件がバイク窃盗であれば、バイクの話をじっくりします。どんな種類のバイクが好きかとか、最近トレンディーな鍵の壊し方は何かとか、少年からいろいろ教えてもらいながら、こちらも負けじとバイクの話をします。私の得意技は大型バイクの話です。少年は免許もなくお金もなかったりしますので、盗むのは大抵「原付」ですが、本当に面白いのはもっと速い高性能バイクですので、高校を卒業して免許も取ってアルバイトをしてお金を貯めて大きなバイクを買えばどんなに楽しいかを延々と話して聞かせたりもします。根が素直な子どもは段々と目を輝かせてきますが、再犯で少年院に行くことを覚悟している少年はそれでもうつむいて泣いていたりもします。

多くの子どもは、家裁送致の後に観護措置が採られて少年鑑別所に収容されますが、弁護士はこの家裁送致の時に「弁護人」から「付添人」に名称を変え、その後、審判まで少年や家族と一緒に歩むことになります。事実でないことが調書に取られていたり、不当に拘留や観護措置が採られた(採られそうな)場合には弁護人あるいは付添人として懸命に抗議の活動を行ないますが、多くの事件では事実関係にはさほど争いがなく、後は、家庭裁判所で開かれる審判で、少年院に行くか、保護観察になるかという結論部分が関係者の最大の関心事です。「少年院に行くか、保護観察になるか」というのは子どもにとっては一生に関わる大問題です。逮捕されたり、鑑別所に入れられたことで、既に学校は退学の危機です。少年院に半年や1年行けば、退院後に別の学校が受け入れてくれたとしても、いわゆる「ダブリ」(留年)となり、一年下の後輩と机を並べて授業を受けなければなりません。私であれば、そんな状態で学校に行くのは嫌ですので、中退して、また悪いことをするかも知れません。少年院の効用を否定するものではありませんが、そういうわけで、付添人弁護士の最大の仕事は少年院送りを回避し、保護観察にしてもらうことであると考えています(この点は、家庭裁判所と意見がよく食い違う点です)。

そのために、弁護士がやるべきことは山のようにあります。最も大事なのは、子どもに度々会いに行くこと。それから、両親とも何度も面談し、ほとんど必ずと言っていいほど存在する「親子間のひずみ」の原因を探り、関係がうまく行っていない親と子どもとの間の関係を少しでも修復できるようにお膳立てすること。多くの場合既にその子どもの退学処分を決めている学校の校長先生や教頭先生を訪ねていって、担任の先生も交えて話をし、子どもに再度チャンスを与えてくれるよう頼んで説得すること(多くの学校が、その生徒が他の生徒に悪影響を及ぼす可能性や、再度事件が起きたときの責任問題を気にして保守的です)。家裁の調査官や裁判官と面談し、付添人としてはここまでやったから何とか保護観察、ダメでも試験観察にして欲しいと頼むこと。被害者の存在する事件であれば、被害者が被った損害を弁償し、「少年を許す。少年院送致は望まない。」という書面をもらうこと。裁判官が最も気にする「悪友との付き合い」を断ち切るための方策を考えること。・・・etc. 鑑別所に収容されてから審判までは通常1ヵ月ほどしかありませんので大忙しになりますが、休んでいる暇はありません。毎日のように動いていてもあっという間に審判当日を迎えます。

さて、いよいよ審判です。

嫌がる校長先生を説得して「再度、学校で受け入れ、継続的に面倒を見ていく」旨の約束も取り付けました。これまで子どもと仲が悪かったお父さんも、今回の事件をきっかけに考え方が変わり、毎日のように自主的に鑑別所に面談に行ってくれました。「悪友との付き合い」を断ち切るために、子どもの携帯電話はお母さんに持ってもらい、掛かって来る電話には逐一丁寧に対応し、今どれほど大事な時期を子どもが迎えているかを、その悪友一人一人に丁寧に説明してもらいました。子どもは鑑別所の中で、今の心境を感想文に書いてくれています。これから守ることを箇条書きにした書面も裁判所に提出済みです。被害者との間には示談が成立し、被害感情も収まっています。審判には両親ともに出席。万全の状態で臨んだ審判。

しかし、まだ足りないものがあります。それは何でしょうか?・・・次回に続きます。


(*1) 当番弁護士とは、日本弁護士連合会が全国都道府県の弁護士会と協議しながら創設した弁護士派遣制度で、逮捕された人が警察や家族を通じて所管の弁護士会へ依頼することによって、その日に待機している当番弁護士が駆けつけて必要なアドバイスを提供する制度です。

インサイダー取引規制について(その6)~アメリカのルール~

アメリカにおける証券規制は1911年のカンザス州法を皮切りに当初州法ベースで始まりましたが、州法には、州をまたいだ大掛かりな証券詐欺を規制する力がなかったため連邦法制定の要請が強まり、1933年にSecurities Act(証券法)が、1934年にSecurities Exchange Act(証券取引所法)が制定されました。現在では、これらの連邦法による規制がメインとなっていますが、州内の証券発行・流通に関しては今でも通称Blue Sky Lawと呼ばれる州法の守備範囲ですので、連邦法と州法による二段構えの証券規制システムになっています。

ところで、アメリカの連邦証券法・証券取引所法には、日本のようにインサイダー取引を正面から禁止する規定が存在しません。これは、アメリカがコモンロー(判例法)の国であることに関係しています。インサイダー取引は1933年以前から存在していましたが、その違法性は、裁判所が通常の不法行為法を用いて判断していました。そこでの理論的枠組みは、「証券の売買を行う者は相手方に対して不実表示を行ってはならないが、インサイダー情報を持っていながらこれを隠して売買を行うことはその情報開示義務違反に当たる」というものでした。すなわち、特に証券法で規制するまでもなく、不法行為としてインサイダー取引が禁止されていたのです。ただ、1934年取引所法の10条(b)項に基づいて、1942年にSECが規則10b-5(詐欺防止条項)を制定したことにより、インサイダー取引はこの規則10b-5の証券詐欺に該当すると考えられるようになりました。すなわち、考え方の枠組みはさほど変わらないものの、制定法上の根拠として規則10b-5が利用されるようになりました。

SEC規則の中で最も重要な規定といっても過言ではない規則10b-5(Employment of Manipulative and Deceptive Practices、価格操作的または詐欺的取引の禁止)は、条文としてはとても短いもので、

It shall be unlawful for any person, directly or indirectly, by the use of any means or instrumentality of interstate commerce, or of the mails or of any facility of any national securities exchange,
(a) To employ any device, scheme, or artifice to defraud,
(b) To make any untrue statement of a material fact or to omit to state a material fact necessary in order to make the statements made, in the light of the circumstances under which they were made, not misleading, or
(c) To engage in any act, practice, or course of business which operates or would operate as a fraud or deceit upon any person,
in connection with the purchase or sale of any security.

(訳:
証券の売買に関し、直接または間接に、州際通商の手段、郵便または国の証券取引所の設備を利用して、以下の行為を行うことは違法となる。
(a) 詐欺を行うための策略、計略、技巧を用いること
(b) 重要事実について不実表示をすること、または、周囲の状況に照らせば誤解を避けるために必要な重要事実についてその表示を省略すること
(c) 詐欺もしくは欺罔となり、またはそのおそれがある行為、慣行または業務を行うこと)

とのみ定めています。そして、インサイダー取引は、証券の発行体、株主またはその他の情報源となる者に対して負う信認義務に違反して、重要な非公開情報に基づき当該証券の売買を行なう行為ですので、規則10b-5が禁止する「詐欺」に該当する・・・という解釈です。

何をもって「重要事実」というかに関しては、日本の金商法では既に述べたとおり類型ごとにある程度整理されていますが、アメリカでは、判例法が解釈基準を設けているに留まり、

Information is material if there is a “substantial likelihood that the disclosure … would have been viewed by the reasonable investor as having significantly altered the ‘total mix’ of information made available.”
(訳:
合理的な投資家が、その情報の開示が、入手可能な情報の総体実質的に変更することになると判断するであろう蓋然性が高い場合に、その情報は重要情報となる。)

とされています。モノサシとしては抽象的ですので、結局、ケースごとに事実と状況を精査しながら重要事実に該当するかどうかが判断されることになります。

アメリカのインサイダー取引規制を理解するには、誰がインサイダーに該当するかといった他の論点についても検討し、SECが近年追加で定めたレギュレーションFD(Fair Disclosureの略)や規則10b5-1、10b5-2などについても知っておく必要がありますが、細かくなりますので、また機会を改めて紹介したいと思います。

なお、1934年取引所法16条は、インサイダーに証券売買に関する報告義務を課し、かつ、短期売買差益を発行者に返還させる義務を負わせています。この点、日本でも、金商法163条は、役員および主要株主(総株主の議決権の10%以上を保有する株主)に対し、売買報告書の提出義務を負わせ(*1)、かつ、164 条は短期売買差益の返還請求について定めていますので(*2)、この点は日米ともに同様の規制となっています。


(*1) 役員および主要株主が自社の特定有価証券等の売買等をした場合には、当該売買等に関する報告書を売買のあった日の属する月の翌月15日までに、内閣総理大臣(財務局長等)宛てに提出しなければなりません。
(*2) 役員および主要株主が自社の特定有価証券等の短期売買(6ヶ月以内の反対売買)で得た利益について、当該上場会社は、役員および主要株主に返還請求することができます(会社が当該請求を行わない場合、株主が代位請求可)。

インサイダー取引規制について(その5)~公開買付けに関するインサイダー取引規制~

株価に大きな影響を与えるM&Aの一つに公開買付けが挙げられます。しかし、公開買付けを行う者は上場会社とは限りませんので、金融商品取引法166条が定める「上場会社の重要事実に関するインサイダー取引規制」ではカバーしきれません。そこで、同法は別途167条において、「公開買付者等関係者の禁止行為」というタイトルで公開買付けに関するインサイダー取引規制を行っています。

166条と167条の違いは、まず規制の対象者です。166条では「会社関係者等」となっているところが、167条になると「公開買付者等関係者」になります(*1)。続いて、166条の対象事実は既に述べたとおり「重要事実」ですが、167条ではこれが「公開買付け等事実」という表現に変わります(それぞれ「決定」がなされたことをもって事実の発生と扱う点、「いつの時点で決定があったとみなすか」という論点が存在することについては166条と同じです)。また、禁止される行為は、166条では「株券等の売買等(売買その他の有償の譲渡・譲受等)」ですが、167条では、「株券等の売買(ただし、公開買付けの実施の決定時は買付けのみ、公開買付けの実施の中止の決定時は売付けのみ)等」になります。最後に、インサイダー取引規制が解除される「公表」の意義ですが、167条では、166条とほぼ同様に、以下の3パターンが用意されています。

① 公開買付者等または公開買付者等から公開買付け等事実を公開することを委任された人が、当該「公開買付け等事実」を、所定の2つ以上の報道機関に公開した時から12時間経過したこと (12時間ルール
② 公開買付け等事実を当該有価証券が上場されている証券取引所等に通知し、当該証券取引所等において電磁的方法により公衆縦覧に供されたこと
③ 公開買付開始公告、公開買付撤回の公告もしくは公表がされ、または公開買付届出書もしくは公開買付撤回届出書が公衆縦覧に供されたこと


上記②は、前回述べたように、東証であればTDNetを通じた公開になりますが、この方法は「上場会社等による自社株買いに係る公開買付け」(金商法27条の22の2)にしか適用されず、第三者が他社株式に対して公開買付けを行う場合には上記①か③の方法によるしかありませんので、その点注意が必要です。

また、金商法は、公開買付けそのものに加えて、「公開買付けに準ずる行為」も禁止していますが、この「公開買付けに準ずる行為」としては、政令(施行例31条)が、「単独でまたは他の者と協働して、総株主の議決権の5%以上を買い集める行為」を挙げています。村上世彰氏が率いる投資顧問会社であるMACアセットマネジメントが、2004年11月にライブドアの前社長堀江貴文氏らからニッポン放送株の大量取得情報を伝えられ、その公表前にニッポン放送株約193万株を約99億5000万円で買い集め約30億円の不正利益を得たとして、昨年、東京地裁が村上氏に懲役2年、罰金300万円、追徴金約11億4900万円、MACアセットマネジメントに罰金3億円の判決を言い渡しましたが、ここで問題になったのが上記の「公開買付けに準ずる行為」です。

ここで注意すべきは、上記5%以上の買い集め行為は取引態様を問わないということです。したがって、公開買付けを要しない市場内での買付けであっても、議決権の5%以上を取得すれば「公開買付けに準ずる行為」になります。

なお、公開買付け情報が一旦公表されると、公開買付者等の関係者は、公開買付の期間中、公開買付け以外の方法で当該銘柄の買付けを行うことができませんが、これは金商法上の別の規制であり、インサイダー取引規制とは関係がありません。


(*1) 正確に言うと、規制対象者は、①公開買付者等関係者、②かつて公開買付者等関係者であった者で公開買付者等関係者でなくなった後1年以内の者、③情報受領者の3種類になります。なお、「公開買付者」自身は規制対象に含まれていません。他社の株式に対して公開買付けを行うことを決めた時点から買付け等の取引ができなくなってしまうのは不合理だからです。

インサイダー取引規制について(その4)~「公表」と「特定有価証券」の意味~

インサイダー取引の規制を受けるのは、未公表の「重要事実」を知った「会社関係者」または「情報受領者」が、「重要事実」の発生後から「公表」の前までに、「重要事実」を知りながら行う株券等の売買等です。これまでに、「重要事実」の意義と、「会社関係者」「情報受領者」の範囲については勉強しましたので、次は、株式売買が禁止される期間について見てみたいと思います。具体的には、重要事実の「公表」とは、いつの時点のいかなる行為を指すのかという問題です。

金融商品取引法166条第4項および同施行令30条によると、「公表」とは、次の①~③のいずれかを意味します。
① 上場会社等の代表取締役(代表執行役を含む)又は当該取締役(当該執行役を含む)から委任された人が、「重要事実」について、法令で定められている2つ以上の報道機関に公開した時から12時間経過したこと (12時間ルール)
② 上場会社等が上場する証券取引所等に対して「重要事実」を通知し、当該証券取引所等において電磁的方法により公衆の縦覧に供されたこと(*1)
③ 「重要事実」に係る事項が記載された有価証券報告書、半期報告書、臨時報告書、その他訂正報告書等が公衆の縦覧に供されたこと


では、自社のウェブサイトに掲載することは「公表」に該当するでしょうか?・・・答えはNOです。よって、会社のウェブサイトで合併案が公表されたからといって安心して当事会社の株式を購入したりすると、未公表の重要事実を知って株式を売買したことになりますので注意が必要です。

なお、細かくなりますが、売買が禁止される株式等は、金融商品取引法「特定有価証券等」と呼ばれており、次の①・②がそれに該当します(*2)。
① 特定有価証券 : (会社法上の)株券、新株予約権証券、社債券及び優先出資法上の優先出資証券など
② 関連有価証券 : カバードワラント(*3)、他社株償還条項付社債(*4)など


また、金融商品取引法第166 条第6 項によって、次の①~④等は、未公表の重要事実を知っていてもインサイダー取引規制の適用除外とされています。
① ストック・オプション(新株予約権)の行使による株券の取得
② 役員持株会・従業員持株会による定時・定額の買付け
③ 株式累積投資
④ 重要事実を知る前に締結された契約を履行するための売買等のように、特別の事情に基づく売買等であることが明らかなもの


これらは、もともと株式等の売買が予定されていた以上、職務上知った重要事実を利用して儲けようとする投機的利得行為ではないため、規制の対象外とされたものです。ただし、例えば、①によって株券を取得した後にその株を重要事実の「公表」前に売却すればインサイダー取引となりますので注意が必要です。


(*1) 証券取引所が定める適時開示規則(M&Aに関する機関決定を行った場合には、直ちにその内容を開示しなければならない)が存在するために、例えば東証に上場している会社であれば、通常は、取締役会等の機関決定があった後数時間以内に、<TDnet>というウェブサイトを利用して公表が行われます。なお、②では①のような12時間ルールは適用されません。
(*2) 金融商品取引法163条第1項、同施行令27条の3・27条の4
(*3) カバードワラントは、株式オプションを証券化した金融派生商品です(<ウィキペディアの説明>)。
(*4) 他社株償還条項付社債(Exchangeable Bond)とは、普通社債券で、特定有価証券により償還することができる旨の特約が付されているものを言います。予定日に、現金ではなく所定の銘柄の株券で償還される点に特徴があり、債権の発行体と償還を受ける株式の発行会社が異なるため「他社株」という言葉が付いています。

インサイダー取引規制について(その3)~規制対象者の範囲~

続いて、誰がインサイダー取引の規制を受けるのかについて見ておきたいと思います。金融商品取引法上、インサイダーとして扱われるのは、
ア 未公表の「重要事実」を知った「会社関係者」及び過去1年間に「会社関係者」だった人(166条1項)
イ  「情報受領者」に該当する人(166条3項)

の二種類です。

まずは、アの「会社関係者」の意味ですが、次の①~⑤に該当する人たちがインサイダー取引の規制を受ける「会社関係者」になります。

① 自己の職務に関し重要事実を知った、上場会社等(*1)の役員及び従業員
② 会社法上の閲覧権の行使に関し重要事実を知った、上場会社等の帳簿閲覧権者(*2)
③ 権限の行使に関し重要事実を知った、上場会社等に対して法令に基づく権限を有する者(*3)
④ 契約の締結、交渉又は履行に関し重要事実を知った、上場会社等と契約を締結している者または契約締結交渉中の者(*4)
⑤ 上記②、④が法人である場合、職務に関し重要事実を知った、当該法人の他の役員及び従業員等


ここでは、③を除いて、「派遣社員、パートタイムおよびアルバイト」も含まれる点に注意する必要があります。また、「役員及び従業員」というのは、正確には、「役員(会計参与が法人であるときは、その社員)、代理人、使用人その他の従業者」を指します。したがって、通常、会社法上の役員には該当しないと考えられている顧問や相談役も、会社との関係によっては、「代理人、使用人その他の従業者」に該当する可能性がありますので、この点も要注意です。

続いて、イの「情報受領者」というのは、インサイダー取引規制を受ける関係者から情報を受け取った者を指しますが、正確には、次の①・②に該当する人たちが含まれます。

① 会社関係者又は過去1年間に会社関係者だった者から直接「重要事実」の伝達を受けた者
② 職務上の情報受領者(*5)と同一法人の他の役員又は従業員等が、その職務に関し「重要事実」を知った場合


ここでは、いわゆる「第一次情報受領者」のみが規制対象となっており、第一次情報受領者から更に伝達を受けた「第二次情報受領者」は規制対象から外されています。ただし、上記②はその例外を定めるもので、第一次情報受領者が職務上情報伝達を受けていた場合には、その第一次情報受領者と同じ会社に勤める同僚は、本来は第二次情報受領者となるところを格上げされて、あたかも第一次情報受領者であるかのように規制を受けることになります。

整理しますと、合併案を検討している会社の役員や従業員は「会社関係者」、その役員や従業員の家族や友人で合併案を聞かされた者は「情報受領者」に該当します。合併に関して直接相談を受けている弁護士等の専門家は「会社関係者」の④に該当し、直接相談を受けているわけではないがディールの過程で大なり小なり関与した者は少なくとも「情報受領者」になると考えられます(関与の度合いが大きかったり、会社との間で委任契約やアドバイザリー契約を結んでいれば「会社関係者」に該当します)。他方で、二回「又聞き」を挟めば、第二次情報受領者になりますので、原則として金商法166条3項が定める「情報受領者」ではないことになります。ただし、情報受領者の②の類型には注意が必要です。また、落ちていた資料から合併計画の存在を知ったに過ぎない者や、エレベーターの中でたまたま他人の話を立ち聞きしたに過ぎない者は、規制を受ける「情報受領者」とはなりません。

一般的には、情報共有者の数が増えれば増えるほど、情報漏洩のリスクも高まると言えます。そこで、実務上は、案件にコードネームを付し、重要書類はパスワード管理を行うなどの方法によって、厳格な情報管理を行っています。また、会社、法律事務所、会計事務所を問わず、プロジェクトチームのメンバーには、当該M&Aの計画が「公表」されるまでの間、当事会社の株式売買を禁止し、秘密を厳守することを求める文書を配布するのが通常です。


(*1) 親会社および子会社を含みます。
(*2) 総株主の議決権の3%以上を保有する株主(法人の場合はその役員等)
(*3) 上場会社の監督官庁に勤務する公務員等
(*4) 取引先・顧問弁護士・会計監査人・元引受証券会社(法人の場合はその役員等)等。日本エム・アイ・シー事件最高裁判決(平成15年12月3日、判例時報1845号147頁)は、ここでいう「契約」は、「重要事実」の前提となる契約に限定されないという見解を示しました。よって、アドバイザリー契約、委任契約、守秘義務契約、融資契約などが広く含まれることになります。
(*5) 「職務上の情報受領者」とは、職務に関し、上場会社の責任者や担当者から「重要事実」を直接伝達される者を意味します(例: 企業業績の分析等を行う証券アナリストや新聞記者など)。

インサイダー取引規制について(その2)~重要事実の意義~

上場会社の役員や従業員は、一般の株主には容易にアクセスできない「株価に影響を与える情報」に接する機会が多いと言えますが、それらの情報を利用した内部者の株取引を規制しなければ、一般投資家は著しく不利な立場に置かれ、市場の公正性と健全性が損なわれてしまいます。そこで、インサイダー取引の厳格な規制が必要になってくるわけですが、まずは、何がインサイダー情報となるのかについて見ていきたいと思います。

インサイダー取引の対象となるのは、趣旨から考えて、投資判断上重要な影響を与える情報ですが、金融商品取引法はこれを「重要事実」という言葉で表現しており、次の①~④がこれに該当します(*1)。

① 決定事実: 会社(子会社を含む)の業務執行機関が意思決定したもの(*2)
② 発生事実: 会社の意思にかかわりなく発生した事実(*3)
③ 決算情報: 会社の決算情報に関するもの(*4)
④ その他: 会社の運営、業務又は財産に関し、投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの(*5)


上記のうち④は①②③で拾えない事実を包括的にカバーするため、「バスケット条項」と呼ばれています。この「重要事実」要件に関して実務上最も問題になるのが、
ア どこまで具体的な内容が決まれば「重要事実」になるのか(重要事実の「成熟度」の問題
イ 誰が決定すれば「決定事実」となるのか(重要事実の「決定」の解釈の問題

という二点です。

まずは、アの重要事実の「成熟度」の問題ですが、例えば、合併を例に説明しますと、合併計画が持ち上がり、最終的な合併契約の締結に至るまでには、
・ 一方の当事会社のみが合併のプランを立てた段階(相手方は知らない)
・ 一応、双方当事会社が合併について前向きに検討することを口頭で確認しあった段階
・ 当事者の了解事項を書面に残しておくために基本合意書(Letter of Intent)が締結された段階
・ Due Diligenceを実施した段階
・ 本契約の締結交渉に入った段階
・ 本契約を締結した段階
といった「成熟度」に関する複数の段階が存在します。初期の段階では事実上白紙に近い状態ですので、単に片方の当事者が一方的に計画を立てているに過ぎない段階でインサイダー情報と言ってよいのか疑問がある場合もあります。

この点について、立法担当官は「具体的に特定された合併の実施に向けての調査や準備、交渉等の諸活動を当該会社の業務として行う」と、これは「重要事実」になると説明しています。すなわち、「重要事実」に該当するために合併本契約の締結が必要でないのはもちろんのこと、原則として法的拘束力を有しない基本合意書(Letter of Intent)の締結前であっても、ケースによっては「重要事実」に該当しうる場合があると理解すべきだと考えます。実務上は、とにかく、合併計画に関する情報はかなり早い段階でインサイダー情報になるという基本理解の下で情報管理を進めるべきでしょう。

続いて、イの重要事実の「決定」の解釈の問題ですが、会社法の基本的理解に則して取締役会が機関決定を行えばそれをもって「決定」になる(それまでは「決定」ではない)と考えることは危険です。判例は、意思決定プロセスの実態を会社ごとに見た上で、実質的に会社の方針が決定された時点でインサイダー情報になるという考え方を採っています。すなわち、代表取締役や代表執行役の意見表明が事実上取締役会決議の結果を左右している会社もあれば、常務会の決定が事実上の最終判断という会社もあるでしょう。実務上は、このような各会社の実態によっては、たとえ検討初期の段階であっても「決定」があったとみなされるケースがあることを念頭に置いて、早め早めに情報管理体制に入ることが必要になります。


(*1) ただし、内閣府令が定める軽微基準に該当するものを除きます。
(*2) 新株発行、資本減少、自己株取得、株式分割、増配・減配、合併、会社分割、株式交換、株式移転、事業の全部又は一部の譲受又は譲渡、業務提携など
(*3) 災害による損害、主要株主の異動、法令に基づく処分など
(*4) 売上高・経常利益・純利益の業績(予想)の修正などであって、内閣府令に定める重要基準に該当したもの
(*5) 経営統合、資源の採掘権の取得、企業不祥事、粉飾決算など

インサイダー取引規制について(その1)

金融庁は、最近、野村証券の従業員によるインサイダー取引事件を踏まえて、証券会社に対して5つのチェック項目を提示し、早急に対応を取るように要請しました。
金融庁が提示したチェック項目は、

① 法人関係情報を入手することが可能な役職員による有価証券取引の実態把握
② 情報管理態勢の再検証と整備
③ 役職員の有価証券取引に関する社内規則の検証


などですが、証券会社におけるM&A業務の重要性は年々高まっていますので、情報管理システムを中心とする業務管理体制のレベルアップが求められていると言えます。ただ、インサイダー取引に注意しなければならないのはもちろん証券会社だけではありません。また、規制の対象となるインサイダー情報についても、M&Aに関する情報に限られているわけでもありません。例えば、昨年(2007年)には、コマツや大塚家具などがインサイダー取引を理由に金融庁から課徴金を科せられました。いずれも重要事実に対する認識が不十分なままで自社株買いを行ったことが原因です(*1)。

そこで、今回から数回のシリーズで、金融商品取引法が規制しているインサイダー取引の規制内容や実務上注意すべきポイントについて勉強していきたいと思います。

インサイダー取引とは、「会社の関係者が、未公表の重要な情報(*2)や公開買付け等の情報を職務に関して知りながら、会社が公表する前に、会社の株(*3)を売買すること」を言い、金融商品取引法 166 条以下で制限されています。ここで規制の対象となっているのは上場株式だけではなく、いわゆるグリーンシート銘柄(*4)も含まれています。また、「会社の関係者」には、役員と従業員だけでなく、契約社員、派遣社員およびアルバイトや、契約締結交渉中の法人または個人なども含まれます。

インサイダー取引の禁止規定に違反すると、
① 課徴金納付命令を受ける(*5)
② 刑事告発される

可能性があり、後者の場合、有罪になると、「5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金またはその両方が科される」ことになります(更に、取引により得た財産も没収されます)。

このように重大な影響を与える割に、要件などを完全に理解するのが難しいインサイダー取引規制は、M&A取引に関与する人たちにとっては頭の痛い問題であると言えます。次回以降のコラムで、「重要事実」の意味や情報管理のポイントなどを順に見ていきます。


(*1) コマツにおける重要事実は「海外子会社の解散」、大塚家具における重要事実は「取締役会での配当修正の決定」でした。
(*2) 業務提携などの決定、震災による損害の発生、業績予想の修正といった決算情報など。
(*3) 新株予約権証券などを含みます。
(*4) 非上場銘柄の店頭取扱有価証券等のうち、証券会社が日本証券業協会に対して届出を行い、当該証券会社が継続的に売り気配・買い気配を提示している銘柄を言います。
(*5) 取引で得たと推定される利益を国庫に納付する義務を負います。

反対株主の株式買取請求権について(その6)~カネボウ事件~

現在は「海岸ベルマネジメント株式会社」という商号になっている旧カネボウ株式会社(*1)は、平成16年に産業再生機構による支援決定を受け、その後、平成17年には過去の粉飾決算が発覚し、東京証券取引所・大阪証券取引所に上場していた株式が上場廃止となりました。なお、上場廃止直前(平成17年6月13日)の市場株価は360円でした。産業再生機構は、平成16年10月に第三者割当増資を引き受け(このときの払込額は一株当たり380円)、その株式を平成18年1月に一株当たり201円でファンド連合(*2)に売却(その結果、ファンド連合が約70%の株式を取得)、そのファンド連合は、平成18年2月に一株当たり162円で公開買付を行い、その結果、旧カネボウの約82%の議決権を保有するに至りました。

旧カネボウは、その後、新カネボウ(ファンドが設立したクラシエホールディングス株式会社)に営業譲渡を行いましたが、これに反対した旧カネボウの株主が株式買取請求権を行使した結果価格決定請求事件にまで発展したのが本事件です。本事件において、

① 旧カネボウ側は、(公開買付価格と同額の)一株当たり162円が適正と主張
② 株主側は、一株当たり1578円が適正と主張(*3)


していましたが、裁判所は360円(旧カネボウの上場廃止直前の株価と同額であり、かつ、裁判所鑑定の鑑定評価額と同額)と決定しました。なお、本件は、会社法施行(平成18年5月1日)前の、すなわち旧商法時代の株式買取請求が問題となっていますので、「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」(旧商法245条の2)がいくらであるかが問題となっていました。

さて、本事件で注目すべきは、裁判所鑑定の鑑定人および裁判所ともにDCF方式で株式の価格を計算したことです。

提訴した株主側は、「(本件は)理論的にゴーイング・コンサーン企業の株式の客観的交換価値を算定するのに最も正しい方式として、実務上も定着しているDCF方式を用いることが適切な事案である」として、当初からDCF方式を採用するよう求めていました。他方、会社側は、「営業譲渡と公開買付との間に時間的な隔たりがないことから、多数の株主が応じた公開買付価格と同額である162円が取引先例価格になる。反対株主が少数株主でありその株式には市場流通性もない点も考慮すべき。本件では基本的には配当還元方式が適正である」といった主張を展開しました。なお、公開買付のために旧カネボウが株価算定を依頼した第三者機関はDCF方式を用いており、その算定結果を受けて162円という公開買付価格が決められたという経緯がありましたが、本事件における会社側の主張は、「DCF方式における将来の収益予測は困難であるし、DCF方式は将来キャッシュフローが全て株主に帰属するとの前提に立つが、少数株主は会社による投資や配当等について決定する力を持たないのでDCF方式は不適切である」と主張していました。すなわち、大まかに言えば、株主側は、「将来キャッシュフローの現在価値」を求めるDCF方式が妥当であると主張していたのに対し、会社側は株主、特に少数株主であってもはやその株式を市場で売却することもままならない者たちが受け取れるのは、配当を基準にした金額に過ぎないと主張していたことになります。

さて、このような両当事者の主張の狭間で、裁判所が選任した鑑定人は、鑑定書の中で、類似会社比準法、純資産評価法、市場株価基準法についてはそれぞれ欠点があり、本件では相応しくないと述べた上で、「継続企業の価値評価であること、反対株主にとっての経済的損失を負担するものであることを考慮した評価手法を用いる必要がある。よって、継続企業を前提とする評価としてDCF法によることとした」と書いています。また、その鑑定人の鑑定評価額を結果的に採用した裁判所も、「本件において、継続企業としての価値の評価に相応しい評価方法は、収益方式の代表的手法であるDCF法であるということができ」るとして、DCF法を採用しました。

DCF法の詳細についてはまた別の機会に述べたいと思いますが、裁判所が従来の判断枠組みを離れてDCF法を採用したことと、公開買付時の買付価格に引っ張られずに会社主張額の二倍以上の金額をもって「公正な価格」と認定したことには非常に大きな意味があると思います。新会社法は、少数株主保護の最後の砦として株式買取請求権に大きな期待をかけています。今後は、アメリカのように、TOB価格を超えるFair Valueを裁判所が認定したことによって、安い価格でのTOBに賛同した取締役の責任を追及する訴訟が別途起こされる時代になるかも知れません。162円と360円の違いは小さいように見えて、実は、少数株主保護に対する考え方を変えさせるだけのインパクトを持っていると感じます。

東京地裁の決定に対しては、当事者双方から東京高等裁判所に不服申立て(抗告)がなされていますので、更なる検討のために高裁の決定を待ちたいと思います。

(参考資料) 本裁判に関する準備書面、鑑定書、裁判所の決定などは、<「カネボウ個人株主の権利を守る会」のウェブサイト>で閲覧できます。


(*1) http://www.bell-m.co.jp/
(*2) アドバンテッジパートナーズ有限責任事業組合、株式会社MKSパートナーズ、ユニゾン・キャピタル株式会社の連合体。
(*3) 粉飾決算が発表される前の市場株価より少し高い金額。

反対株主の株式買取請求権について(その5)

引き続き、Delaware Block Methodの説明をしていきたいと思います。

ウ Investment/Earnings Value (投資/収益価値)について
これは日本で収益還元法や配当還元法と呼ばれる株式評価手法と同じく、対象会社の収益(通常は過去5年程度の平均収益)を利回りで割って会社の収益還元価値を計算するものです。後に述べるDCF法も収益還元法の一種ですが、DCF法は将来収益の現在価値を考慮する点で一応区別しておきたいと思います。DCF法とは異なり過去の収益のみを考慮した結果であるInvestment/Earnings Valueについては、「継続企業としての価値」を適正に評価できているか(例えば、成長企業における収益価値を正確に評価できるか)という疑問があります。

以上でDelaware Block Methodで主に考慮される3種類の評価方式についての説明を終わりますが、Delaware Block Methodでは、ここまでに述べた複数の評価手法を用いて出てきた数字のいずれかをピックアップして採用するのではなく、それらの金額について一定の割合で加重平均した数値が結論として採用されます。すなわち、例えば、
ア Net Asset Value: 1,000円
イ Market Value: 2,000円
ウ Investment/Earnings Value: 3,000円

と仮定すると、アを30%、イを20%、ウを50%といった割合で配合し(その割合は対象会社の置かれている状況と算定の目的に応じてケースバイケースで決める)、株価は
1,000円×0.3+2,000円×0.2+3,000円×0.5=2,200円
となります。

では、なぜ、特定の数値を採用せずに、全ての数値を少しずつ持ち寄って合計するのでしょうか?・・・それはシンプルに言えば、どの数字をとってみても、それ単独では会社の価値を適切に反映しているとはいいがたい、すなわち、単独では信頼できないからです。しかし、信頼できない数字を組み合わせれば結果が信頼できるものに生まれ変わるものではありません。一応、理論上は、
資産価値の按分比率: 企業の清算の可能性
市場価格の按分比率: 株主が所有する株式を売却する可能性
収益価値の按分比率: 一定期間に株主が所有株式から利益を得る可能性

を示していると言われています。しかし、株主や企業は選択を迫られたその瞬間において「極大の利益が得られる一つの行動」を選択しますので、それぞれの可能性が何%存在するというのは本来測定不能なものだと言えます。結局、必ずしも明確ではない理由付けによって、個別の計算結果に割り当てる按分率が「裁判所の裁量」によって決定されること、および、そもそも個別の算定手法で得られた数字自体に信頼性がないことに対する批判の声が高まり、Delaware Block Methodは、裁判所自らが「Delaware Block Method はもはや支配的な地位を有し得ない」と述べたWeinberger v. UOP, Inc., 457 A.2d 701 (Del. 1983)事件以降、DCF法にそのポジションを奪われることになります。

さて、日本では、国税庁の昭和39年の相続税財産評価基本通達が、Delaware Block Methodと同様に、類似業種比準価額、純資産価額、配当還元価額を使い分ける方式を提案して以来、裁判実務においてもこれらの複数の評価方法を組み合わせて使う実例が多く見られました。しかし、カネボウ事件の東京地裁が採用したのはDCF法でした。M&Aの実務では、日本でもアメリカの実務の影響で相当前からDCF法による株価や企業価値の算定が行われるようになっていますので、裁判所もその流れに乗ってきたと言えます。次回は、カネボウ事件の概要を紹介します。

反対株主の株式買取請求権について(その4)

カネボウ事件について見る前に、米国デラウエア州における株式買取請求権の「買取価格」の算定方法について紹介しておきたいと思います。

デラウエア州では、1950年の最高裁判決(Tri-Continental Corp. v. Battye, 74 A.2d 71 (Del. 1950))において、①解散する会社の価値は、(清算企業ではなく)継続企業として評価される必要があることと、②株式の価格算定に当たっては、会社の価値に影響を与える全ての要素を考慮しなければならないことが示されました。そして、このうち、②の「全ての要素を考慮すべき」という考え方から、デラウエア州では、
ア Net Asset Value (純資産価値)
イ Market Value (市場価値)
ウ Investment/Earnings Value (投資/収益価値)

といった複数の算定結果をミックスさせて用いる、いわゆるDelaware Block Methodと呼ばれる手法が確立されました。

ア Net Asset Value(純資産価値)について
このうち、Net Asset Value(純資産価値)は、文字通り、対象会社の純資産の評価額を発行済株式総数で割って出てきた一株当たりの価値であり、この純資産評価額を利用する計算方法は、貸借対照表上の数字をそのまま用いる「簿価純資産方式」と、資産の含み損益や、退職金の引当不足などの簿外負債を反映させて純資産を算定する「時価純資産方式」に分けることができます。簿価は資産の含み損益を反映していない時点で企業の現在の価値を表現しているとは言えないため、指標としてはあまり利用されていません。他方、時価については、どこまで含み損益を反映させるのかが難しいという問題もあります。更には、「含み益に対する将来課税」をどこまで未払い税金(負債)として計算に含めるかといった困難な問題もあります(*1)。

イ Market Value (市場価値)について
続いて、Market Value (市場価値)は、上場株式であれば市場株価を参考に決められ、非上場株式であれば同一または類似業種の他の会社の株価と業績を参考に求めます(日本では類似業種比準方式または類似会社比準方式と呼ばれます)。ただし、これもそう容易な作業ではなく、上場会社のケースでは、「どの期間の平均株価を採用するか」といった問題があり(*2)、非上場会社のケースでは、①類似会社の選定が困難(*3)、②PER、PBR、EBITDAといった「比較のためのモノサシ」の選択が困難(恣意的になるおそれがある)(*4)といった問題点があります。

なお、対象会社が非上場会社で、参考にする類似会社が上場会社である場合には、非上場株式には「流通性の欠如から来る価値の低下」が存在することを理由に、いわゆるNon-Marketability Discount(非流動性割引)をすべきではないかが問題となりますが、株式買取請求がなされる文脈では、当該株式を買い取ると言うオファーが現実になされていることからMarketabilityがないとは言えず、また、少数株主のスクイーズ・アウトがなされているような状況でNon-Marketability Discountを考慮するとunfairになりますので、原則として考慮すべきでないとされています(州によって異なりますが、少なくともデラウエア州では株式買取請求の際には、Minority Discount(*5)もNon-Marketability Discountもなされません)。

長くなってきましたので、続きは次回のコラムで述べたいと思います。


(*1) 一般的には、会社が事業を継続するためには必須の資産となる工場や本社ビルなどの不動産の含み益に対する将来の課税については考慮しないが、いずれ手放すことが確実な有価証券等の含み益に対する将来課税については「未払い税金」すなわち負債として資産から控除するといった考え方を採ることになると思われます。
(*2) M&Aの計画を公表すると株価がその影響を受けて変動するため、「計画公表前の市場価格」を参考にすることが多い(かつ妥当)と思われます。
(*3) 取扱商品の類似性のみならず、資産高、売上高、従業員数といった会社の規模、利益の額および率なども考慮して類似会社を探す必要があります。
(*4) 例えば、PER(Price-Earning Ration、株価収益率)を基準として用いる場合、類似会社の株価が1000円で一株当たり利益が50円であればPERは20倍となり、対象会社の利益が一株当たり30円であれば対象会社の株価は30円×PER20倍=600円という計算結果になります。
(*5) Minority Discount(少数株主であるがゆえにその株式を高値で売却できないという問題)を考慮することについては、MBCA(標準事業会社法)が明確に否定しているほか、デラウエア州では、(法律には明記されていないものの)「支配株主を不当に利することになる」という理由で判例上(Cavalier Oil Corp. v. Harnett, Del. Supr., 564 A.2d 1137, 1144 (1989))明確に否定されています。

反対株主の株式買取請求権について(その3)

引き続き、買取価格に関する改正について述べたいと思います。

前回のコラムで書いたとおり、反対株主の株式買取請求権に関する買取価格については、もともとは「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」と書かれていたものが「公正な価格」と表現が変わりました。その意図するところは、M&Aの結果として発生する(であろう)シナジーの配分という要素を加味して買取価格を算定できるようにするという点にあります。ただ、今回の改正によっても、「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」を採用することが不可能になったわけではありません。実際のM&Aでは企業価値が減少するケースもありますので、そのようなケースにおける反対株主については、M&Aによって毀損する企業価値を前提とした株価ではなく、当該M&Aが存在しなければ有していたであろう本来の株価を基準に買取りをすべきだからです(*1)。

続いて、裁判所がどのようにして「公正な価格」を算定するのかについて検討してみたいと思います。

まず、裁判所として、当事者が行った算定結果をどの程度尊重すべきかという問題が発生します。この点については、「もっぱら実務的な実行可能性という観点から、再編前の当事会社の企業価値を主たる基準として合理的に説明できる範囲内に収まっているかどうか判断することになるが、算定の基礎となったデータや適切な情報開示の上利害関係人以外の株主が賛成しているかといった諸事情もあわせて考慮してもよい。もし、当事者の設定した条件が合理性を欠くとされた場合、裁判所は独自にあるべき公正な企業再編対価を算定することになる。」とする見解があります(*2)。

確かに、支配株主が少数株主をスクイーズ・アウトする場面で行使されることが多い株式買取請求権については、価格算定プロセス自体に公正性を疑わせる事情が存在する場合も多いと思います。MBOの場面ではMBO指針等の影響で独立委員会が設置されるケースが増えていると思いますが、通常の事業譲渡や合併においては利益相反問題を排除する具体的措置が採られないことも多いと思います。実際に、株式買取請求権が行使され、価格決定の申立までなされたカネボウのケースでも、買取価格を決めるために独立委員会が設置されたということは聞いていません。そこで、算定プロセスに問題があったかなかったかをまずチェックし、「プロセスに公正性を疑わせる問題がない場合は会社の判断を尊重し、逆にプロセスに問題があれば改めて裁判所がゼロから算定する」という発想にも一定の合理性があるように思います。ただし、会社法自体は、そのような手続審査的判断枠組みを採るべきと明記しているわけではありません。その結果、「算定プロセスが公正であった場合は、会社の算定結果を100%尊重すれば足りる」とも言いにくいわけです。そこで、上記のように、手続的審査に加えて、多少実体的な判断(計算に利用された前提条件などのチェック)にも踏み込んで、会社による算定結果が「合理的に説明できる範囲内に収まっているかどうか」を判断するという手法が提案されているのではないかと思います。

実務的な観点から言えば、たとえ「合理的に説明できる範囲内に収まっているかどうか判断する」ためであっても、裁判所の判断能力の点から考えると、やはり原則として専門家による裁判所鑑定は必要になってくるだろうと考えます。そして、鑑定がなされた以上、裁判所としては、(カネボウ事件のように)鑑定に基づいて判断した独自の算定結果を裁判所の結論として公表するのではないでしょうか(数千万円という多額の鑑定費用を当事者に支出させて鑑定を行った場合は尚更)。よって、この場合に、「まず合理的に説明できる範囲内に収まっているかどうか判断する」という二段階的判断方法が採られる余地はあまりないのではないかと感じます。ただ、(全部取得条項付種類株式の取得価格が問題となったレックス・ホールディングス事件のように)鑑定費用が高すぎるといった理由で裁判所鑑定がなされなかった場合については、「多くの株主が公開買付けに賛同した」といったプロセスに関する諸事情もあわせ考慮した上で、「合理的に説明できる範囲内」にあるとして、会社提案額が尊重されるケースもあるのだろうと考えます。

レックス事件やカネボウ事件といった具体的な事件名が登場しましたので、次回のコラムでは、主に2008年3月14日に東京地裁が価格決定を出したカネボウ事件について見てみたいと思います。


(*1) そもそも、定款変更などの「シナジー効果が関係ない会社の行為」に関しては、当然に「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」が採用されることになります。
(*2) 藤田友敬「新会社法における株式買取請求権制度」(江頭憲治郎先生還暦記念論文集『企業法の理論』、商事法務、上巻296頁)

反対株主の株式買取請求権について(その2)

2 行使期間と撤回制限について

旧商法下では、株主は株主総会において組織再編行為が承認された後20日以内に買取請求権を行使しなければなりませんでしたが(旧商法245条の3)、会社法の下では、「組織再編行為等の効力が発生する20日前の日から効力発生の前日まで」と変更されています(会社法469条5項、785条5項等)。そして、株主が買取請求権を行使できるように、会社は、効力発生日の20日前までに、組織再編行為をすることを株主に対して通知しなければなりません(*1)。

また、旧商法時代には、株式買取請求の取下げに関する制限規定が存在しなかったため、とりあえず株式買取請求権を行使し、その後の対象会社の株価変動を見つつ、裁判所が決定するであろう価格よりも市価が上昇した場合には株式買取請求を取り下げた上で市場で売却するという株主の投機的行動を許すことにもなっていました。そこで、会社法では、一旦買取請求をした場合は、会社の承諾がなければ当該買取請求を取下げることはできないものとし、濫用的に株式買取請求権が行使されることを防止しています(会社法469条6項、785条6項等)(*2)。

このように、取下げに対する制限を課した結果、株主は株式買取請求を行うかどうか慎重に判断しなければなりません。それゆえに、買取請求権の行使期間を組織再編決議直後ではなく、クロージング日の手前20日間に持ってきた(すなわち、遅らせた)というのが新会社法の規定の趣旨と説明されていますが、これに対しては、結局、「かなり長期間、株価の動きを見ながら買取を請求するか否かを考慮することが可能になる。」との批判もなされています(*3)。


3 買取価格に関する改正

株式買取請求権が行使された際に会社が株式を買い取る価格については、旧商法下では、組織再編等についての「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」とされていましたが(旧商法245条の2)、新会社法ではシンプルに「公正な価格」によって買取がなされることとなりました。すなわち、ケースによっては、組織再編によって見込まれるシナジー効果のうち、対象会社の株主に分配されるべき部分をもらえることになったわけです。

この点、米国では、例えば、<MBCA>の定義条項(§13.01(4))を見ますと、

(4) “Fair value” means the value of the corporation’s shares determined:
(i) immediately before the effectuation of the corporate action to which the shareholder objects;
(ii) using customary and current valuation concepts and techniques generally employed for similar businesses in the context of the transaction requiring appraisal; and
(iii) without discounting for lack of marketability or minority status except, if appropriate, for amendments to the articles pursuant to section 13.02(a)(5).

(訳:
「公正な価格」とは以下の方法によって算定された株式の価値を意味する。
(i) 当該株主が反対した会社の行為の効力発生直前の価値であること
(ii) 同種の業界において当該行為に関して一般的に利用されている普遍的かつ最新の評価方法および技術を用いること
(iii) 13.02(a)(5)に基づき定款に変更がなされた場合を除いて、少数株式に市場流通性が欠ける点は考慮してはならない)

と書いてあります。ここでは、特段、組織再編によるシナジーを含めてはならないと明記されているわけではありませんが、「当該株主が反対した会社の行為の効力発生直前の価値であること」というのはすなわち、(日本の旧商法と同じく)当該組織再編行為が存在しない場合の価格を指しているものと解釈されており、多くの州において、シナジー効果を買取価格に反映させることは、特にそれをすべきと考えられる特段の事情がない限り行われていません(*4)。

日本の新会社法の下では、「組織再編行為自体には賛成するが、それに伴い交付される財産の価額に不満を持つ株主」の利益をも保護されることになりました。今まで合併比率が不公平である場合などにはそれにより損失を被る株主の保護はほとんど不可能だったわけですが、それが株式買取請求権の行使という形で可能になったのです。

確かに、日本においては、「対価の不当性」を理由に組織再編行為を事前に差し止めることや合併比率等の取引条件の不公平さに関連して取締役の責任を追及することが困難であるため、株式買取請求権に少数株主保護の効果を大いに期待することは分からないではありません。しかし、将来のシナジー効果を予測するのは実際には極めて困難で(別の言い方をすれば、色々な予測が可能)、かつ、株主に「株主たる地位を放棄しつつ、組織再編によって得られるシナジー効果をも享受する」というある意味で矛盾した二つの地位を認めることになります。特に、シナジー効果の予測と分配を裁判所に期待する点には相当の無理があるのではないでしょうか。実務上は、当事者双方が鑑定意見書を出し合って、あるいは裁判所鑑定を行って、裁判所はそのいずれかを採用するということになるかと思いますが、今回の改正が裁判所に過度の任務を負わせた点については、果たして正しかったのかどうか、疑問を感じるところです。


(*1) 株主総会で承認されたときなど、一定の場合には公告によることもできます。
(*2) <MBCA>§13.23では、特段会社の同意を要求することなく、株式買取請求の撤回を認めています。
(*3) 藤田友敬「新会社法における株式買取請求権制度」(江頭憲治郎先生還暦記念論文集『企業法の理論』、商事法務、上巻266頁)
(*4) MARY SIEGEL, BACK TO THE FUTURE: APPRAISAL RIGHTS IN THE TWENTY-FIRST CENTURY, 32 Harv. J. on Legis. 79, 1995

反対株主の株式買取請求権について(その1)

今回から数回のシリーズで、M&Aに関する重要問題の一つである「反対株主の株式買取請求権」について書いてみたいと思います。

合併や事業譲渡などのM&A取引は会社の事業運営の根幹に関わるものであり、株主の利益に重大な影響を及ぼしますので、原則として株主総会の承認が必要になりますが、株主が総会で反対票を投じても、資本多数決の原則の結果これらのM&A取引を阻止できない場合もあります。そこで、そのようなケースにおける反対株主の利益を守るために会社法で定められているのが「反対株主の株式買取請求権」です。具体的には、合併や事業譲渡などのM&A取引に反対する株主は、会社に対して、自己の所有する株式を公正な価格で買い取るように請求することによって、投下資本を回収することができます。

この「反対株主の株式買取請求権」は、アメリカの州会社法に倣って昭和25年の商法改正で導入されたものですが、平成18年5月から施行されている会社法によって内容の一部に変容を受け、部分的にアメリカとは異なる制度として歩み始めました。ここは少数株主保護に関する日米間の状況の違いとも関連するところですので、後ほどじっくりと考えてみたいと思います。まずは、会社法下で認められている「反対株主の株式買取請求権」の要件と内容について、旧商法とも比較しつつ見てみます。

1 請求権者について

会社法(785、797、806条)の下では、

① 株主総会決議を要するM&A: 「議案に反対した株主」と「総会において議決権を行使できない株主(*1)」
② 株主総会決議を要しないM&A(*2): 「すべての株主


に株式買取請求権が与えられています(簡易吸収分割における分割会社の株主には、株式買取請求権が与えられていません(会社法785条1項2号))。旧商法下では、議決権を行使できない、すなわち最初から「反対意見」を述べることすらできない株主に株式買取請求権が認められるか否かについては見解が分かれていましたが、会社法の制定によって、議決権を有するかどうかに関係なく株式買取請求権が与えられました。

この点、アメリカでは、元々、「株主総会で反対票を投じる権利を有する株主に合併等を拒否するパワーを与えない代わりに、その株式を買い取って投下資本回収の途を与えようという趣旨で、株式買取請求権制度が設けられた」と考えられているようです。よって、たとえば、多くの州が全部または一部の規定を採用している<Model Business Corporation Act(MBCA、模範事業会社法)>においても、総会において議決権を行使できる株主か、日本で言うところの略式組織再編(*3)における株主にのみ株式買取請求権が与えられており、およそ「賛成株主以外の全株主」に株式買取請求権が付与されているわけではありません(*4)。また、<デラウエア州法>ではShort Form Merger(略式組織再編)における株主の株式買取請求権についても否定されていますので、およそ「合併等の行為を承認する総会での議決権保有者で、かつ、賛成票を投じなかった者」にのみ株式買取請求権が与えられていることになります(*5)。

日本の会社法が株式買取請求権の範囲を広げたのは、株式買取請求権という制度に少数株主保護の機能を大いに期待しているからであると考えられます。アメリカと異なり、「支配株主の少数株主に対するFiduciary Duty」が判例上認められておらず、かつ、組織再編行為を事前に差し止める制度も存在しない日本では、今回の会社法の少数株主保護重視路線への変更は全体のバランスを採るという意味で妥当と考えます(ただし、株主に投機的利益追求の途を過度に与えるべきではありません)。

なお、手続上、株式買取請求権を行使したい株主は総会に先立って当該合併等に反対する旨を会社に通知する必要がありますが、「総会において議決権を行使できない株主」と「株主総会決議を要しない場合のすべての株主」についてはこの反対意思の通知が不要となっています。

続きは次回のコラムで述べたいと思います。


(*1) 議決権制限株式の保有者や単位未満株主など
(*2) 簡易組織再編、略式組織再編によって株主総会の承認決議を必要としないケース
(*3) 略式組織再編とは、完全子会社に近い会社との組織再編について、子会社側株主の承認手続を不要とするもので、ある株式会社(支配会社)が他の株式会社(被支配会社)の総議決権の9割以上を保有している場合に適用されます。同じ行為は米国ではShort Form Mergerと呼ばれ、MBCLでは11.05条で定められています。
(*4) MBCA § 13.02. RIGHT TO APPRAISAL
(a) A shareholder is entitled to appraisal rights, and to obtain payment of the fair value of that
shareholder’s shares, in the event of any of the following corporate actions:
(1) consummation of a merger to which the corporation is a party (i) if shareholder approval is
required for the merger by section 11.04 and the shareholder is entitled to vote on the merger, except that appraisal rights shall not be available to any shareholder of the corporation with respect to shares of any class or series that remain outstanding after consummation of the merger, or (ii) if the corporation is a subsidiary and the merger is governed by section 11.05;
(*5) DGCL § 262. Appraisal rights.
(b) Appraisal rights shall be available for the shares of any class or series of stock of a constituent corporation in a merger or consolidation to be effected pursuant to § 251 (other than a merger effected pursuant to § 251(g) of this title), § 252, § 254, § 257, § 258, § 263 or § 264 of this title:
DGCL§ 253で規定されているShort Form Mergerは、Appraisal rightsの対象外とされています。

M&Aにおけるリスク・アロケーション~Antitrust Riskを題材に~(その2)

Antitrust Riskの分担を契約書に反映させる方法は、通常、以下の4種類になります。
① Representations and warranties(表明保証条項)
② Covenants(コベナンツ条項)
③ Conditions to closing(クロージング条件条項)
④ Termination rights(解除権条項)


これらのいずれかを用いたり、組み合わせて利用しますが、最も極端な例は、売主側に完全にリスクを負担させる方法と、反対に買主側に全てのリスクを負わせる方法です。売主側に100%リスクを負わせる方式の下では、買主側はAntitrust問題を解決するために協力する義務すら負わず、発生した費用は全て売主負担、かつ、当局からAntitrust法上問題があるという指摘を受けた時点で買主側に解除権が発生するということになるでしょう。他方、買主側に100%リスクを負わせる方式は、”hell or high water clause”と呼ばれ、いかなるトラブルが発生しても契約の解除ができないばかりか、原則として代金の減額もできないとするものです。この方式の下では、当局への対応も専ら買主の費用と責任において行い、訴訟に発展した場合も買主が対応し、結果として対象事業の一部分を他社へ譲渡しなければならなくなった場合でも、当初合意した買収対価を全額支払う(ただし、売主が事業の一部を他社へ譲渡した場合はその代金相当額を不当利得として買主側に返してもらう)ことになります。

上記のような極端な例は実務上はほとんど見られませんが、例えば、買主候補がA社とB社の2社あって、A社との合併は競争に悪影響を与えるが、B社との合併ではそれがない、しかしA社は合併を強く望んでいてどんな手段を使ってでも取引を完了させたいという状況であれば、Antitrust Riskについては全て自社で引き受けるから契約書にサインをして欲しいと対象会社に申し出る場合も考えられます。また、対象会社が再建中の会社などであって、ここで売却しなければ完全に破産するほかないというケースでは、売主側がAntitrust Riskを100%負担すると申し出るケースもありえます。

では、そのような特殊な状況になく、売主と買主が交渉上ある程度対等な立場を有している場合については、どうでしょうか?

後日の紛争を防止するためには、この場合、まず当事者双方がどこまで当局への対応義務を負担するかについて定める必要があります。日本語の契約書でも近年、「合理的な努力をする」「最大限の努力をする」といったいわゆる努力条項が入れられるようになりましたが、米国のM&A契約書でも”best effort”や”(commercially) reasonable effort”といった言葉を用いて、当事者の努力レベルを規定するのが通常です。これらの用語の具体的な意味については、理論的には州ごと、国ごとに異なると言えるでしょう。(Antitrust関連紛争に関してこれらの用語の解釈が問題となった事案が少ないため、明確な解釈基準は存在しませんが)一般的には、”reasonable effort”と言う場合には、当局の詳細調査(Second Request)に対応する義務まで含まれ、”best effort”と言った場合には更に進んで訴訟対応まで含まれると考えてよいと思います。すなわち、訴訟対応までやってなお是正措置を要求された場合に初めて解除権を行使できる可能性が出てくるということです。

上記のように解釈するのが妥当であるとしても、”best effort”や”(commercially) reasonable effort”といった用語は本質的に曖昧ですので、後日の紛争を招く可能性があります。よって、契約書においては、当事者間で十分協議した上で更に詳細な取り決めをしておくことが望ましいと考えます。具体的には、①協力義務の内容(Specific Cooperation Obligations)、②訴訟対応義務の有無(Specific Litigation Obligations)、③事業の切り売りを迫られた場合の対応(Divesture Obligations)、④他社へのライセンス付与を迫られた場合の対応(Licensing Obligations)、⑤違約金(Antitrust Break-up Fee)、⑥売主の解約権(Sellers-out)の6つについて契約条項を作ることができれば望ましいと言えます。

① 協力義務の内容(Specific Cooperation Obligations)
Antitrust Riskを事前にシミュレーションするためには、当時会社がそれぞれ有している製品や顧客、取引先、競合他社に関する情報を交換する必要がありますし、専門家を雇って緻密な計算をすることもときに必要ですので、(a) 相互の情報提供義務、(b) 市場や競争状態の調査を共に協力して行う義務、(c) 専門家を雇った場合の費用分担義務、(d) 当局からの資料提出要求等に協力して対応する義務などについて定めておくのが良いでしょう。

② 訴訟対応義務の有無(Specific Litigation Obligations)
訴訟対応には多額の費用と長い時間が掛かるのが通常ですので、これについては特に具体的にしておくことが望ましいと言えます。定め方としては、訴訟提起がなされた時点で買主または売主の解約権行使を認める、当局からの差止請求訴訟(preliminary injunction)においてディフェンスする義務までは負う(=そのプロセスを経ないと解約はできない)、最終審まで完全に攻撃防御を尽くす義務を負うなど、いろいろなレベルが考えられますが、どの訴訟レベルまで対応義務を負うか、またその際の費用分担はどうするかについて定めておいた方が良いと考えます。

③ 事業の切り売りを迫られた場合の対応(Divesture Obligations)
事業の切り売りと言っても、買主から見た場合にはそれがなくては買収の意味が全くなくなるような重要な事業・資産から、他社へ譲渡しても構わない価値の低い事業・資産もあるでしょう。よって、一般的には、合併・買収後の事業運営に重大な悪影響(Material Adverse Effect)を及ぼす場合には解約可能という形で定めます。何をもってMACと言うかについては、なくなっては困る特定の重要資産や事業を予め列挙しておく方法や、会社の収益やEBITDAベースで何%減になればMACに該当すると定めておく方法が考えられますが、当事者間の契約書は当局のチェックを受けますので、それを前提に注意深く契約書を作り込んでいく必要があります(契約書に書き過ぎると、当局との交渉が困難になる場合が考えられます)。

④ 他社へのライセンス付与を迫られた場合の対応(Licensing Obligations)
他社へのライセンス付与は、競争を促進するために当局から要請される是正措置の一種ですが、この場合も上記Divesture Obligationsと同様に、どの製品・技術に関するライセンス付与を余儀なくされた場合に契約の解除を認めるかといった取り決めを行っておけば後日の紛争を防ぎやすいと言えます。

⑤ 違約金(Antitrust Break-up Fee)
ここで言うAntitrust Break-up Feeとは、主に買主側が支払う義務を負うフィーのことです。買主候補が複数いる場合、売主としてはできればAntitrust Riskが少ない当事者と契約したいと考えます。しかし、買主の中にはBreak-up Fee条項を入れても構わないので、自社と契約して欲しいと願うケースがあります。そのような場合には、売主としては、Antitrust Risk を打ち消すだけのBreak-up Feeをもらうことに合理性が出てきます。リスクがある相手と一緒に進むけれども、ディールが頓挫した場合には掛かった費用や時間に相当するフィーをもらうと取り決めておくことで、フェアな判断ができるようになります。

⑥ 売主の解約権(Sellers-out)
多数の買主が待っている場合には、売主の方から進んで契約を解除したいと願うケースもありえます。そのような場合には、例えば、当局からの詳細調査が始まった時点で売主側の解約権行使を認めるといった契約条項を入れておく方法が考えられます。

以上のように、Antitrust Riskの分担を当事者間で予め決めておくための契約書上のテクニックは多数あります。大型合併・買収になればなるほど、しっかりと事前にシミュレーションして協議と交渉を怠らないことが重要だと考えます。

M&Aにおけるリスク・アロケーション~Antitrust Riskを題材に~(その1)

M&A取引に潜むリスクと言えば、対象会社で発生している法令違反、(係属中ないし将来の)訴訟、環境問題、賠償問題等たくさんありますが、ときにディールを断念せざるを得ないほどに影響が大きい問題の一つがAntitrust Risk(競争法違反リスク)です。

Antitrustに関する規制については、日米でさほど変わらないので、このブログでまだあまり紹介していないアメリカの実務を例に説明していきたいと思います。アメリカでは、予定されている買収または合併が
“will substantially lessen competition or tend to create a monopoly”
(競争を実質的に抑制し、または、独占状態を作り出すおそれがある)
ときには、本来あるべき競争状態を阻害し消費者の利益を害するために、一定の制約を受けます。取引条件を多少修正することで認めてもらえれば良いのですが、US Department of Justice(司法省)やFederal Trade Commission(連邦取引委員会)は、合併・買収後の事業の進め方に制限や条件を課してきたり、ときに対象事業の一部を他社に売却することや、特定の製品に関するライセンスを競争他社に付与することまで要求してきたりします。実際にはそこまでドラスティックな対応を求められるケースは稀ですが、いざこのような是正措置を採ることを要求された場合には、買収価格に影響を与えるべき事態と言えるのはもちろんのこと、対象事業の中核部分を他社に譲渡することを余儀なくされたりすると、買収そのものを取りやめることにも合理性が出てきます。また、訴訟に発展した場合はもちろんのこと、競争法当局との協議を続けるだけでも相当の費用と時間が掛かりますので、それ自体がAntitrust Riskであると言えます。

他方で、Antitrust Riskの大きさ、影響というのは、当局と協議し、指摘を受け、対応をしてみないと明確にならないという側面もあります。よって、契約書を曖昧に作ったままとりあえず手続を進めてみたところ、思いのほか協議が難航し、最終的にはFTCから差止訴訟を提起され、計画していたM&A取引が阻止されてしまうというケースも十分考えられます。この場合、契約書に何も定めていない以上、当事者間では、「その訴訟で負けたのは買主が訴訟に協力しなかったからであり、クロージングに向けて努力すべき買主の債務不履行に当たるから買収代金は返還できない」とか、「いやAntitrust Riskは売主が負うべきものである」といった言い合いになってしまいかねません。

アメリカではnotificationを当局に提出した後30日間のwaiting periodがあり、詳細調査が必要となれば、Second Requestと呼ばれるフェイズに移りますが、こういった手続の流れとそれに要する時間および費用を事前に理解し予定しておくのはもちろんのこと、売主・買主間の契約交渉において、Antitrustに関し発生が見込まれる問題を具体的に想定した上でリスク・アロケーションを行っておくことが大事になってきます。さて、それでは、具体的には何をどのようにして当事者間でのリスク分配を図れば良いのでしょうか?

まずは、各当事会社において、当該買収や合併が関連マーケットの競争状態に与える影響をシミュレーションする必要があります。日本と同様、「地理的範囲」と「商品・サービスの範囲」という二つの視点から、競争他社と消費者に与える競争制限効果を計算するのです。クロスボーダー案件であれば、関連各国の競争法を調査し、その規制内容と手続、当局の判断傾向についてまで研究しておく必要があるでしょう。そして、当局から要求される是正措置の内容まで予測して、「この事業を切り売りすることを要求されたら買収は撤回する」「この製品のライセンスを他社に許諾することを求められたら、買収代金は○○%減額」といった買主側の方針の決定、あるいは、「A社との合併を当局に反対されれば、B社と合併する。但し、訴訟に至らない限り、A社との合併を優先する」といった売主側の方針を事前に決めておく必要があります。また、Antitrust Riskは買収そのものの成否につながる大問題ですので、こういったシミュレーションや調査、方針決定およびそれに基づく当事者間での交渉は、M&A交渉のかなり早い段階で始めておく必要があります。

さて、Antitrust Riskの内容のシミュレーションが終われば、次は、契約書に反映させるためのアイデアが必要になってきますが、この続きは、次回のコラムで述べたいと思います。

成長を続けるSPACビジネス(その2)

さて、ここ数年でSPACが大流行しているその背景ですが・・・、投資家から見た場合は、まず、少額の資金で(SPACを通して)プライベート・エクイティ取引に参加できるというメリットがあります。また、SPACを運営する経営陣は、プライベート・エクイティ・カンパニーや投資銀行での経験が豊富な「投資のプロ」であるのが通常です。SPACには経営陣も一定程度の出資を行いますので(最初の出資を行いSPACを立ち上げた経営陣をスポンサーと呼びます)、彼ら自身、将来の買収によって収益を上げる自信がなければSPACを設立することはしないでしょう。よって、SPACの場合、SPAC経営陣の買収・投資に関する知識と経験が比較的はっきりと見え、それを信頼して投資ができるというメリットがあると言えます(通常の事業会社のIPOであれば、経営陣の事業運営能力は未知数である場合が多いと思われます)。

更に、前回のコラムでも述べたとおり、SPACの株主は具体的な買収案が出てきた時点で「投票」を行うことができ、賛成できない買収案が実行されようとしている場合には、エスクロー口座に入っている自分の投資額を(利子付きで)返還してもらうことができます。また、スポンサー(経営陣)の取り分は、最初のIPOの時点で決定され公表されているため(*1)、予想に反して、スポンサーに買収利益の大部分を持っていかれてしまったということにもなりません。この点で、1990年代に投資家に被害を与えたBlank Check Companyとは異なり、投資家保護が図られていると言うことができます。

しかし、これだけSPACが流行る原因の大部分は、投資家側というよりも、むしろSPACを設立するスポンサー側と買収されるターゲット会社の方にあると考えます。まずは、買収される会社/株式公開する会社から見た場合のSPACのメリットについて、IPOおよび事業会社またはフィナンシャル・バイヤーに対する事業売却のケースと比較しつつ見てみたいと思います。

 
SPAC
IPO(後に株を売却)
事業会社等への売却
株主が得られる現金
すぐに現金が手に入る
税務上の観点から、一定期間待つのが通常
すぐに現金が手に入る
対価
関係当事者間で協議して決められる
IPOが完了するまで値段が分からない
買い手側との(ときに熾烈な)交渉が必要
経営陣の続投
原則、続投
原則、続投
続投できない可能性が高い
手続に要する時間
IPOより数ヶ月は短い
準備、SECのレビューに相当の時間が掛かる
交渉の長期化、買主側の資金調達などで時間が掛かるおそれがある
経営陣の手間
SPAC側がIPO関連の作業をしてくれるので楽
ロードショーなどにかなりの手間が掛かる
DDや交渉の対応で相当の労力が必要
マーケットの状況
現在でもSPACのIPO市場はホット
事業会社のIPO市場は低迷中(IPOディスカウントを大きくする必要あり)
資金調達が困難になっているためディールが成立しにくい

このように、買収される会社/株式公開する会社から見た場合には、現金がすぐに手に入り、かつ、経営陣が続投できる、しかも面倒な手続や交渉が不要で取引成立の見込みも高いSPAC方式が魅力的であると言えます。また、SPACが好まれる理由は「Exitのフレキシブルさ」にあると言われます。すなわち、続けたい者は続ける、去りたい者は現金をもらって去るという柔軟な対応ができます。例えば、前回のコラムの冒頭で述べたJamba Juiceの案件でも、当初の出資者の一部分はキャッシュをもらって持分を売却しましたが、CEOのPaul Clayton氏とCFOのDonald Breen氏は経営陣として残る選択をしました。

他方、スポンサー側から見れば、短期間で資金を集めることができ、かつ、Management Contributionという形で数億円単位のフィーを受け取ったり、SPACの持株比率にして20%程度を保有し、IPO後にその株式を売却して現金化することができますので、小型版エクイティ・ファンドを運用しているのと同様の効果を得ることができます。SPAC自身の存続期間も最長2年と短くなっていますので、次から次にディールを処理していく能力がある買収のプロにとっては利用しやすい仕組みと言えるでしょう。

このような利点があるSPACですが、リスクを二つほど指摘しておきたいと思います。一つ目は、SPACの特徴とも言うべき「短期間で買収を完了させなければならない使命」が、期限ギリギリの駆け込み買収を促進する可能性があるという点です。実際の案件としても、例えば、American Apparelを買収したEndeavor Acquisitionが公表した委任状説明書においては、「締切日が迫っていたことが買収金額のアップに同意せざるを得なかった一つの理由であった」と書かれています。取引を成立させたい方が交渉上不利な立場に置かれるというのはよくある話であり、これによって「高い買い物」をしてしまったというケースが出てくるわけです。

二つ目は、当然といえば当然ですが、通常のIPOと同じく、買収した会社の業績変動によって、SPACに投資をした株主が損失を被ることがあるという点です。買収のプロが設立したSPACだから儲かる可能性が高いと考えることは危険です。スポンサーはディール完了後に株を売却して撤退するため損をする可能性は低いかも知れませんが、株式を持ち続ける場合や、スポンサーが売却する株式を購入する場合については、もともと未公開会社であった企業に対する投資を行う=その分リスクも大きい、と考えるべきではないでしょうか。冒頭のJamba Juiceの株価については、Services Acquisitionとの合併後、一時12ドルを超えていましたが、現状では残念ながら2ドル台にまで落ち込んでいるようです・・・(*2)。

(参考)最近設立されたSPACのForm S-1の例
http://www.secinfo.com/dr89b.tYs.d.htm (SIDHU Special Purpose Capital Corp.)


(*1) SPACにおける経営陣の持分は通常20%程度ですが、ゴールドマン・サックス・グループが2008年3月に設立したSPACであるLiberty Lane Acquisitionでは7.5%と低めに抑えられていました。経営陣の持分割合が大きければ大きいほど、一般株主の「希薄化」(買収の結果株主が増えるため、SPACの株主の持分比率は下がることになります)も大きくなるため、経営陣の持分を少なくすることでより魅力的な投資商品になると言えます。
(*2) http://ir.jambajuice.com/stockquote.cfm

成長を続けるSPACビジネス(その1)

アメリカの街を歩いていると、Jamba Juiceというフレッシュジュース屋さんをよく見かけます。Jamba Juice は全米に500以上の店舗を展開するジュースやスムージーのお店で、夏になるとお客さんでいつも混雑していますが、実は、このJamba Juiceは、2006年3月にServices Acquisition Corp. Internationalという会社に2億6500万ドルで買収されました。今日は、このServices Acquisition の正体について探ってみたいと思います。

Services Acquisitionは通常の事業会社ではなく、Special Purpose Acquisition Corporations (通称SPAC、特別目的買収会社)と呼ばれる買収専門会社です。アメリカでは1990年代にBlank Check Company(白紙小切手会社)と呼ばれる「現在は事業を行っていないが、将来どこかの会社を買収することを謳い文句に投資家から資金を集めて、それを運用する会社」の設立が流行しました。当時は、このBlank Check Companyが悪用され、投資家からお金を集められるだけ集めて起業家が逃げてしまうという詐欺事件が多発し、あるいは、明白な詐欺とまでは言えないまでも、資金運用がうまく行かず結局は倒産してしまうケースも多数発生しました。そこで、SECは投資家保護のためにRule 419を制定して規制を行いました。その結果、Blank Check Companyはしばらく下火になっていたわけですが、近年、IPOによって集めた資金で買収を行うことのみを目的とする会社の利用が再び盛んになりつつあります。統計の数字を見ると、SPACは、
・ 2004年: 12社、4億8200万ドル
・ 2005年: 28社、21億ドル
・ 2006年: 37社、34億ドル
・ 2007年: 66社、120億ドル  *金額はIPOによって集めた資金額の合計
というように、明らかな成長を見せており、私が現在所属するアメリカのローファームでもSPAC案件の取扱い件数が増えてきています。今後はM&Aの一手法としてSPACが利用されるケースが益々増えるものと予測します。

さて、SPACというのは、上で述べたとおり、具体的な事業は行っておらず、将来他社を買収ないし他社と合併することを存在目的に掲げてIPOを行い、集めた資金でM&Aを完了させることで投資家との約束を果たすいわば投資専門のShell Companyであり、「第2のプライベート・エクイティ・ファンド」と呼ばれることもあります。これまで、非上場会社のExit(創業者持分のキャッシュ化)の方法としては、IPOか、Strategic BuyerないしFinancial Buyerへの売却という手段が一般的でしたが、そこに「SPACに買収されるプラン」が加わったということができます。

SPACを設立するためにはSECに対してRegistration StatementであるForm S-1(外国民間証券発行者の場合はForm F-1)を提出する必要がありますが、そこでは具体的な保有資産を挙げる必要はなく(そもそも資産を持っていないため)、公募の内容に加えて、買収のターゲットとする業界や地理的範囲、経営陣の経歴、資本構造(経営陣が何パーセントの株を保有するかなど)や一般的なリスクファクターを開示すれば足ります。また、投資家から集めた資金は最低でも80%はエスクロー口座に入れる必要があり、将来の買収が完了するまでそれを引き出すことはできません(エスクローに入れなかった残りの部分がSPACの運営費用として使われます)。SPACはSECの分類上はBlank Check Companyの一種ですので、Rule 419に定めるガイドラインに従う必要もあります。そして、上場する以上は、他のSEC規則やサーベンス・オクスリー法に基づく規制にも従わなければなりません(*1)。

SECのガイドラインに従い、SPACの存続期間は通常、18ヶ月から24ヶ月までに設定されます。この期間内に、その存在目的である他社の買収ができなければ、SPACは当然に解散となり(厳密には、期間内に買収または合併のLetter of Intentが締結されれば足りますが、その後一定期間が経過しても最終合意書の締結に至らなければ、やはり解散となります)、エスクロー口座に預けてあった出資金は投資家に返還されます。また、買収案件は何でも良いわけではありません。SPACに投資した株主には選択権が与えられ、例えば20%の株主の賛成票がなければ特定の買収案件を進めることができないといった制約が定款に入れられます。また、特定の買収案件に反対の株主には株式買取請求権が与えられ、当該反対株主はその時点で資金を回収することができる仕組みになっています。

このSPACがなぜ急に流行りだしたのか?・・・次回のコラムでは、ヘッジファンドや投資銀行が矢継ぎ早にSPACを設立しているその背景について、これまでの伝統的なIPOやM&Aの手法と比較しながら考えてみたいと思います。


(*1) SPACの上場は、現時点では、米国の<OTC Bulletin Board(店頭公開市場)><American Stock Exchange>で行われていますが、ナスダックとニューヨーク証券取引所での上場も2008年に認められる予定です。

会計基準の世界的統合の動きについて

昨年夏(2007年7月)のことになりますが、米国証券取引委員会(SEC)は、外国民間証券発行者(Foreign Private Issuer)(*1)がSECに対して提出を義務付けられている報告書について、<国際会計基準審議会(IASB)>が公表している<国際財務報告基準(IFRS)>に従って財務諸表を作成している限り、米国のGAAPへの調整を行うことなく当該財務諸表を開示資料として使用することを認めました。今回は、この動きが持つ意味と背景について考えてみたいと思います。

コーポレート・ガバナンスを有効に機能させるためには、利害関係人(主に投資家、株主および債権者)に対して必要な企業情報を提供すること、すなわち「情報開示」が重要になってきますが、国際的な大企業に限らず中小企業であっても海外に支店を出したり現地法人を設立することが珍しくなくなった現代においては、国ごとに異なる会計基準によって作成された財務諸表をそのまま情報開示資料として使用することを認めるか否かという問題が発生しました。

この点については二つの考え方があります。一つは、海外企業に対しては上場している国の会計基準に合わせることを強制する考え方(「調整方式」)であり、米国のSECがこの立場を採っています。すなわち、米国の証券取引所に上場している外国会社は、①米国の会計基準(GAAP)に基づいた財務諸表をゼロから作るか、②自国の会計基準で作成した財務諸表に、米国基準を適用した場合にはこうなるであろうという修正結果を添付しなければなりません(後者の作業のことを「調整」(reconciliation)と呼びます)。

他方、もう一つの考え方は、海外企業に対して「調整」を要求せず、当該企業の母国における会計基準に則して作成した財務諸表を開示資料として使用しても構わないが、その代わり、同じ対応を当該相手国に求める「相互承認方式」であり、日本の証券取引所はこの方式を採用しています。

しかし、調整方式は不公平であるだけではなく「調整」のための費用と時間が掛かり、他方、相互承認方式は公平ではありますが、外国の会計基準に基づいて作成された財務諸表を開示されても理解が困難であるという根本的な問題点があります。そこで、近年では、EUが先導者となって、世界共通の会計基準を作り、なるべく多くの国で採用してもらおうという動きが出てきました。これが冒頭に述べた「国際会計基準審議会(IASB)が公表している国際財務報告基準(IFRS)」です。

具体的な動きとしては、EUは、2005年に、EU内で上場している企業に対して、相互承認方式を止めてIFRSを適用することを求めました。この前後から、日本の企業会計基準委員会(ASBJ)やアメリカの財務会計基準審議会(FASB)は、IASBと協議を重ね、日本や米国の会計基準を将来においてIFRSに合わせて行くことを約束しました。すなわち、欧州証券規則当局委員会(CESR)は、米国基準や日本基準がIFRSと同等かどうかを調査し、異なる点については「補正措置」を採ることで是正することを求め、日本の場合は2011年6月末までにこれを是正することに合意しました。米国のFASBも、米国基準からIFRSに近づけることが投資家保護のための最善案であることをSECに対して表明しており(IFRSそのものを採用するとは名言していない)、こういった米国流「調整」方式からの離脱の一効果として、冒頭に述べた、外国民間証券発行者に対する規制変更がなされたと言えます。

近い将来日本や米国の会計基準はIFRSに近づく方向で修正されていくことになりますが、会計基準の統合はクロスボーダーM&Aの実務にも影響を与えてきますので、その具体的な動きについてはまたフォローしていきたいと思います。


(*1)  外国民間証券発行者とは、「発行者の証券を保有する米国居住者が全証券保有者の50%未満である会社、または、米国居住者が50%以上の証券を保有する会社であっても、①役員および取締役の過半数が米国市民または米国居住者でなく、②発行者の事業が主に米国外で営まれ、かつ、③発行者の資産の50%超が米国外にある会社」を言います(外国政府関連組織は除く)。外国民間証券発行者は、年次報告書としてForm 20-Fを提出する義務がありますが、四半期報告書(10-Q)は提出する必要がありません。

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